日曜論壇 第25回

お寺のゴミ問題

 このところ、世間では二酸化炭素(CO2)の問題が流行っている。焚き火も全面禁止する行政が増えていると聞く。以前は、フロンガスやダイオキシンなどが取り沙汰されたものだが、最近はもっぱら二酸化炭素問題に絞られている。近年の増加量を問題にするなら、車の排気ガス中の窒素酸化物もかなり問題なはずだが、これはあまり槍玉に挙げられない。そこには、いったいどういうカラクリがあるのだろう。
 それはともかく、先日ある檀家(だんか)さんから電話で質問を受けた。地域の墓地で花竹や供え花を燃やすことをやめるため、それぞれ持ち帰るよう地域住民に協力を求めたところ、「塔婆(とうば)はどうするのか」と質問を受けたのだという。即答できず、「それはお寺さんに訊いてみる」ということになったらしい。
 要するに、訊いた側も答えられなかった側も、まず卒塔婆はゴミなのか、という疑問をもっているようだった。使用済みならばどんな物でもゴミになるのかもしれないが、それなら卒塔婆の使用期限とはどのくらいなのかが分からない。結局彼らは、家に卒塔婆を持ち帰り、折ってゴミ袋に入れることには抵抗があるようなのである。
 私は、その抵抗感は素晴らしいものだと思う。それは人形供養や櫛供養、針供養など、お世話になった品々に感謝する日本の麗しい伝統行事にも繋がる心情ではないか。故人の戒名が書かれた板は、たぶん単なるゴミじゃないのだろう。
 だいたい、使えなくなったらゴミで、使えるかどうかはそれぞれ勝手に判断していいというなら、やがてその目線は人間にも向かうだろう。死んだ人間の葬儀をわざわざすることもないではないか。
 私は難しい問題だとは思いながらも、やはり卒塔婆はこれまで通り墓地で、感謝の気持ちを込めながら燃やしてはどうか、と申し上げた。もしもそれで問題があるというなら、その時にまた考えましょう、と。
 ゴミ処理という観点からお盆などの供え花やさまざまな設(しつら)えを見れば、たしかに大量のゴミを作っているようなものだ。しかし私には、そういう儚い手間ひまにこそ文化が宿るのだと思える。だからお花をなるべく少なくとも言えないし、終わったら供え花や花竹まで持ち帰ってほしいとも言えない。お年寄りや、他県からのお参りだけ区別などできない以上、卒塔婆だけでなく、花竹や供え花もお寺で燃やすのが妥当だと思うし、現にそうしているのである。
 毎年この問題に気を揉(も)んでいる女房は、今年は檀家さんや知人友人の協力を得てゴミ焼き場を大改装し、前もって向日葵(ひまわり)の種も蒔き、さらにはやんわりと分別(ぶんべつ)を促すような絵まで描いてもらった。効果絶大、ビニール類は極度に減ってありがたいのだが、さてこれから燃やすに当たり、伺いたい。宗教法人は農耕は禁じられていますが、卒塔婆や花は燃やしてもいいでしょうか?

2008/08/24 福島民報掲載

タグ:

トップへ戻ります