仏師は、あらかじめ木の中に眠っている仏の姿を彫りだすのだと云われる。ならばその仏像を撮る場合にはどうなのか。
三好和義氏の写真を見つめていると、これまでの仏像写真にはあまり感じなかった心の躍動を感じる。仏師がある姿を木の中に見いだした瞬間のような、とにかく人間はこんな心根も持ち合わせているのだ、こんなふうに自由に躍動する心があったのだと感動し、また人にも見せたいというような、原初的な人間愛を感じるのである。
おとなしく待つだけでは、たぶんこんな写真は撮れない。その方法は知らないけれど、おそらく三好さんは、仏師達が最初に木の中に仏を見るまでのドラマを体験してしまったのだ。
静謐で厳格そうな仏像たちが、なぜか三好さんには油断して気を許し、本当に自由で語句楽なエネルギーを迸らせる。
2009/04/20 写真集「極楽園」