私だけの「みかえり阿弥陀」さま

 以前、『私だけの仏教』(講談社+α新書)という本を書いたとき、表紙に仏像の写真を使いたいのでお好きな仏像を教えてくださいと編集者に言われた。私は迷わず永観堂の「みかえり阿弥陀」像を挙げた。結局表紙には三体の仏像の写真が使われたのだが、「みかえり阿弥陀さま」以外は編集の彼に任せてしまった。
 ご存じの方も多いと思うが、紅葉で有名な永観堂のご本尊「みかえり阿弥陀」さまは、非常にかわっている。鎌倉時代初期の作と云われ、重文にもなっている立派な阿弥陀如来立像なのだが、正面から拝むとまるで顔を背けているように見えるのである。
 ああ、阿弥陀様もとうとう衆生済度にお疲れになられたか……。なにしろ「衆生」といったらキリがないし……。そう思うかもしれないが、さにあらず。私が表紙に使いたいと思った理由もそこにあるのだが、阿弥陀さまはとうとう衆生ではなく「あなた」を救いに来られたのである。
 言い伝えによれば、この仏像はもともと奈良の東大寺の宝蔵に秘蔵されていたらしい。奥深く仕舞い込まれ、衆生と接する機会もないことを永観律師(1033~1111)はとても悲しまれ、これが白河法皇の耳に入って永観が持ち帰ることになったという。
 本当かどうか知らないが、永観はこの阿弥陀さまを直接背負って運んだらしい。ところがいくら法皇の仰せとはいえ手放したくない僧侶たちも東大寺にはいて、京都の木幡まで運んだところで追いつかれてしまった。押し問答のあげく、僧たちが永観の背から仏像を取り戻そうとすると、阿弥陀さまは永観の背中にしがみついて離れず、僧侶たちもついに諦めたというのである。
 そう言われてみると、なんだかこの阿弥陀さま、永観の背中で駄々をこねているようにも見える。
 しかし左肩側に首が捻られる事態はそんな「いやいや」ではなく、じつは永観がきちんと仏像を持ち帰ってお祀りしてから発生するのである。
 永保二(1082年)、永観五十歳の二月十五日、つまりお釈迦さまのご命日の日の早暁に、彼は底冷えのするお堂で念仏行道をしていたらしい。すると阿弥陀さまは突然須弥壇から降りて行道を先導され、呆気にとられて立ち尽くす永観を振り向きざま「永観、おそし」と叱咤されたというのである。

 なんという面倒見のいい阿弥陀さまだろう。場合によってはお節介とも思えるほど、永観に注目してくださっているではないか。
 この話はやがて一般に敷衍され、浄土から観音勢至両菩薩を従えてお迎えに来てくださった阿弥陀さまが、死者を先導する際に、「ちゃんと従いて来てくれてるかな」と振り向いたという話になっていく。面倒見がいいばかりか、この阿弥陀様は心配性でもあったのである。
 いずれにしても、こうした阿弥陀さまが作られた背景には、正面を向いて「みんな」を救ってくださる方から、「あなた」に注目し、「あなた」を救ってくださる仏さまへの変化が感じられる。
 「衆生」といえば「みんな」であり、そこに「あなた」も含まれるのは当然なのだが、やはり人情としてそのときその場では「あなた」だけであってほしいのだろう。
 たぶん同じような欲求で、三十三間堂の千体の観音様や幾つもの顔をもつ仏たちも作られたのではないだろうか。
 『千載和歌集』には永観律師の次のような和歌が残されている。

みな人を渡さんと思ふ心こそ
極楽にゆくしるべなりけれ

 「みな人」に「私」も含まれることを、「みかえり阿弥陀」ははっきり振り向くことでお示しくださっているのだろう。振り向かれたい、という誰にも潜む欲求に、阿弥陀さまは気前よくお応えくださったのである。
 ちなみに同じような「みかえり阿弥陀」さまは山形県米沢市の善光寺にも祀られており、こちらは背負って運んでいた尼さんの背中で、追いついた敵を睨み倒したと云われる。心配して振り向くのと睨み倒すのでは随分イメージは異なるが、いずれも「私だけ」を救ってくださるありがたい阿弥陀さまなのである。

2009/09/26 一個人特別編集版「仏像入門」掲載

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