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月刊武道 巻頭エッセイ

雲水と入道

 禅の修行者のことを、昔から雲水という。行雲流水の略で、行く雲や流れる水のように滞ることなく自由に求道の旅をすることから名づけられたらしい。
 滞らない、というのは、守るべきものや所有するものがないということだ。全くないのは無理にしても、決められた十六種のもの以外は「無用の長物」と呼んで所有せず、また親族や友人などの人間関係もすっきり一旦解消したつもりで入門する。
 この夏、お盆の手伝いのために現役の雲水さんに来てもらったのだが、久しぶりにこの言葉の意味をしみじみ憶いだした。二十八歳の彼はすでに六年以上雲水生活をしているのだが、とにかく雲水らしいのである。
 まず何より返事がいい。こちらが何を言っても「はい」と即座に返ってくる。そこには滞って守るべき自己がない。守りもの所有するものの最大で最強のものは何と云っても自己だから、それがなく、相手の要求にすぐさま応じる姿こそ最も自由なのだが、そのことを彼を見ていて痛切に憶いだしたのである。
 また彼の動きはじつに「まじめ」である。日本人は「真面目」を「まじめ」と読んだが、本来はむろん「間締め」のことだ。つまり余計な間を措かないのである。だから彼は、要件を聞き終わるとすぐに走っていく。若いせいもむろんあるだろうが、やはり修行というのは凄いものだと思ってしまう。
 手伝ってもらってお盆も無事に済んだ。今日は久しぶりに夏らしい入道雲が湧きだしている。白く輝く雲はまるで若い雲水さんのエネルギーのようだが、そういえば入道雲という命名もそういう意味なのだろうか。
 どこかで見た言葉がぬっと入道雲のように湧いた。「一刻の急忙もなく一息の間断もなきは即ち是れ自然の気象なり」。私もかくありたいものだ。

2009/09/28 月刊武道

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