ふとしたことから、人は大きく変化することがある。たとえば誰かの死。これは一番大きい。我々僧侶としては、それだけでなく、年忌の法事なども大きなきっかけになると信じている。竹が節からしか枝を出さないように、新たな枝は新たな節目から出るはずである。
東日本大震災という、とてつもない事件からすでに四十九日以上経っている。四十九日といえば、死者を送った人々が新たな足場に立ち、そこで暮らす練習がだいたい終わったという意味から、大練忌(だいれんき)とも云われる。しかし果たして、新たな暮らしは始まったのだろうか。
福島件の場合、未曾有の地震、津波のほかに、原発災害も加わった。さらに風評被害も重なり、四十九ではなく、四重苦である。
新たな足場と云われても、どこまで沈むのか分からず、一歩を踏み出すどころではない、というのが実情ではないだろうか。
今日いわきの四倉まで出かける用事があった。初日の出の名所、波立(はつたち)薬師の波立(はりゅう)寺だが、その周囲の家々は、廃墟のように静まりかえっていた。家財道具のすっかり流された家に風雨が吹き込む様子は、五十年前から廃屋だったと云われても信じてしまいそうだった。それほど、人の気配や温度のない空間に成り果てていた。津波にやられただけでなく、おそらく原発の脅威のせいで誰も寄りつかないのである。
目指す波立寺の境内には、周囲の家から出た瓦礫が流れ込んで山になっていた。しかし玄関横の縁の下には見たことのある大きな犬がいて、体をすり寄せてきた。誰もいなかったが、鷹揚な犬の様子から推測すれば、たぶん住職が毎日どこかから通っているということだろう。見ると瓦礫の中の物干し竿に、何枚かの衣類が干されたまま雨に濡れていた。復興までの遠大な時間と労力、そして悲しみと苦悩とが瞬時に想われた。
しかしこの巨大な喪失が、なにかの巨大なきっかけになることは間違いない。そう信じることで、人はなんとか生き直そうと思えるのではないか。
実際、私のなかにも小さな変化が連続して起こりつつある。
イチゴを冬に食べることはない。キュウリも夏でいい。野菜も果物も、旬に食べる暮らしに戻れば、そこに不自然にかかっていた電気や石油などは要らないはずである。
これまでの日本人の暮らしを振り返るとき、やはり電気によって砂上の楼閣のような、不自然な暮らしが実現されてきたように思えてならない。
イルミネーションやネオンサインなどの飾りばかりでなく、いわゆるオール電化の家のように、電気が止まると全てが止まる方向に、世の中全体が突き進んできたのである。
石原知事のように、政治力を使ってパチンコ屋と自動販売機に制限を作る、といった大袈裟なことはできないが、我々だって日々の暮らしのなかで底辺から世の中を変えることができるに違いない。
創意豊かな日本人のことだから、きっと放射能に汚染された土地の除染方法も、発案するだろう。
チェルノブイリで始められた菜種の栽培には日本も農産省を通じて協力してきた。スリーマイル島の事故後はヒマワリの除染能力も注目されている。
項垂(うなだ)れて力が湧いてこない。それも無理はないと思うが、なんとか叡智を結集し、行動を起こしたいと思う。待つだけでは状況はなにも変わらない。フクシマから世の中を大きく変えていこうではないか。そのための巨大なきっかけを、我々フクシマ人は、誰もが持ったのだ。
2011/05/01 ふくしまを楽しむ大人の情報誌Monmo(モンモ)