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「新しい感性」を待ちながら

 三月十一日の東日本大震災とそれに続く福島第一原発の事故は、さまざまな意味でこの日本社会に変化をもたらし、そして更なる変化を促しているような気がする。
 まず誰もが感じたであろう大きな変化は、この国が火山列島であることを憶いだしてしまったことである。
 そういえば、八十八年前には、マグニチュード七・九の関東大震災があった。また遡れば、地震、津波の記録は、枚挙にいとまがない。それはこの国に固有の神として大穴牟遅神(オオナムチノカミ)が出現したことでも明白である。大穴牟遅とは大穴持ち、つまり大きな噴火口をもった火山そのものだ。『万葉集』に描かれる富士山だって、じつは燃えて爆発しそうな恋心の比喩に用いられているのである。
 不安定なプレートに載った島国では、噴火や地震、津波などは「いつか必ず来るもの」「いつ来てもおかしくないもの」だった。しかし私自身は、迂闊なことにここしばらく、というより生まれてこのかた、そのような感覚を切実には持っていなかったように思う。今回ほど広範囲にわたる大規模な震災がしばらくなかったこともあるが、今感じるこの切実さは、自分が被災地エリアに住んでいることも大きいのかもしれない。
 私は震災のあとでようやく『三陸大津波』(吉村昭氏)を読み、また鴨長明の『方丈記』をあらためて読み返し、ほとんど覚醒というほど愕然と、この国の天災の多さと、そこで培われた生き方や文化に、気づかされたのである。
 一言でいえば、この国の人々は「諸行無常」を心底感じとり、無常なるがゆえに深く感じ入る心情を「あはれ」として美学にまで高めた。「面影」や「なつかし」などの言葉も、むろん無常を背景にした日本人独特の感性と云えるだろう。
 インドに発し、中国を経て日本に伝わった仏教の「諸行無常」は、この火山国において最も深く心の底まで沁みとおり、感性の基層をつくったのである。
 水に流せるのも無常なるがゆえ、台風や川の氾濫のせいだ。一から出直し、こつこつ努力しつつもいざとなれば諦めがいい、という『風土』(和辻哲郎著)で指摘されたモンスーン型気質も、台風ばかりか火事や地震や津波によって、大陸では考えられないほどに洗練されたと云えるだろう。
 そしてこのような諦念を含んだ気質こそが、震災直後にあちこちから賞讃を浴びたのではなかったか。それによって我々も、この国が長年かけて培ってきた文化的土壌を、久しぶりに憶いだしたのである。

 このことを忘れていた数十年間、我々はいったい何をしていたのか……。どうしてもそう思ってしまう。
 これも簡単に言ってしまって申し訳ないが、いわゆる高度経済成長からバブルの崩壊を経ても、なお豊かさと便利さを追い求めていたことは間違いないような気がする。
 市場原理と効率主義で経済活動のすべてを割り切り、しかも医療や教育さえその価値観のなかに放り込んだ。
 集約化によって競争力をつける、と新自由主義の総理は言った。同じ理屈で大合併も行なった。しかし地方で実際に起こったことは、小さき者の消滅と、システムへの従属であった。
小さき者や地方は、より大きなシステムの部品に成り果て、自治体とは名ばかりの、自治のできない集団になっていったのではないか。
 ATMシステムも郵便局の検査システムも、どんどん集約化されて巨大化しているようだが、これこそ災害に最も弱い在り方であり、自治からどんどん離れていることに、そろそろ気づくべきではないか。実際、全国的な物流に頼る大手スーパーが、今回最も回復が遅かった。しかし、被災地によっては、勝ち残ったスーパーがそこしかなかったりしたのだからじつに悲惨である。後の祭りと言うしかない。
 ともあれこの国が、そうした巨大システムを稼働させる中心に据えていたのが原発だったと云えるだろう。
 戦前までいわば「やおよろづ的」に乱立していた電力会社はどんどん集約化されて巨大化し、すべて国有に近い状態になった。そして当初は国力を、やがてはGDPを牽引するのは電力総量だという、信仰にも似た思い込みによって、電力だけは右肩上がりに作りつづけてきたのである。
 震災直前の、オール電化を勧める世の中の雰囲気はまだ覚えているだろう。私など、飲み屋のトイレの蓋が自動で開いたのを見たときは仰天したものだ。「せっかく作ったんだし、なんとか使ってくれないか」というのがあの頃の電気の正味の事情ではなかっただろうか。
 不安定な土壌の上に作られた巨大なシステムは、じつはもっと巨大なシステムの一部になることを運命づけられていた。誰が仕組んだのか、グローバリズムの名の下にアメリカの市場として開かれ、仕上げはTPP(Trans-Pacific Partnership Agreement)でなされるはずだった。それにしてもこの言葉、訳語から「戦略的」が抜けたり「経済」が抜けたりと、コロコロ変転するのも不気味である。いったい「パートナー」の真義は何かと問い糾したくもなる。
 ともあれこの条約は、農産品輸出入の自由化だけの話ではない。もしも唯々諾々と批准すれば、国内の裁判や小規模の公共事業にまでアメリカの弁護士や建設会社が参入してくる。当然のことだが、書類には全て英訳もつけなくてはならなくなる。
 これまでも、英訳できない「聾学校」・「盲学校」や、「助教授」・「助役」、あるいは「戸籍謄本」など、それぞれ英語を元にした日本語に姑息に姿を変えていたわけだが、TPP以後は、完全に英語で説明できなければオープン市場に入ることすらできない。それによってアメリカの植民地化が予定どおり完成し、かの国の失業率が多少なりとも下がることに貢献するはずなのである。
 あの手この手のアメリカ化が進むなか、「やおよろづ」の個別性を重視し、「無常」を基層に据えた日本的感性は、すでに命からがらだったと云えるだろう。たまたま東北という、市場経済や集約化において遅れた地域で今回の震災が起こったことは、天の啓示のように思えてならない。「もうそれ以上、そっちに進むのはおやめなさい」と、天は呟いているのではないか……。

 遅れた地域は、進行方向が逆になればフロンティアになる。その意味でも新たな文明の形が、今回の被災地において模索されなくてはなるまい。
 しかし被災地の知事のなかには、「この際」特別な支援を国からもらい、一気に集約化を進めて市場経済の世界で成功しようと目論む人もいる。それでは方向がこれまでと変わらず、単に遅れた東北の遅れを少なくしようという程度のことでしかない。何の転換も、起こらなかったと言われても仕方ないだろう。
 おそらくもっと大きな転換は、最も困難な状況、いわば「この際」と言いにくい環境にある、フクシマにおいて起こるのではあるまいか。
 放射能の引き起こした生きる境遇の変化は甚大である。
 なにより自分の感覚を信じるなと、フクシマに住む我々は告げられている。放射線や放射能は、目に見えず、何の匂いもなく、気配さえ感じられない。しかしそれは明らかに存在するのだと、計器だけが告げている。
 これまで、そんな敵に遭遇したことがあっただろうか。いや、もし敵だとすればだが、そんな敵に勝つ手だてがあるのだろうか。
 美味しくても見た目が立派でも、そう感じる長年培った自分の感覚ではなく、計器の示す数字のほうを信じなくてはならないのである。
 五月の統計だが、岩手県や宮城県では昨年から横這いの自殺者が、フクシマだけで四割も増えている。自らの感覚で生きてはならないという事態に、彼らは耐えられなかったのではないか。
 そしてまたフクシマにおいては、大きな分裂も生まれている。年間二OmSvから百mSvの被曝では、発がん率の変化など、健康被害を実証できるデータがない。いわば謎なのである。この謎を巡り、二つの「信仰」が生まれたと云えるだろう。
 一つは、この地球の放射線量は発生当初からどんどん減り続けているのだし、微量の放射線に対する抵抗力を人間はもっている。いや、むしろ、ある程度の放射線を浴びることで白血球中のリンパ球が増え、免疫力も上がるのだから、微量はあったほうがいいのではないか、いや、そうに違いないと考える立場。(これは一九八〇年、アメリカ・ミズーリ大学のラッキー博士が提出した『放射線ホルミシス』の主張でもある)
 もう一つは、生身の人間を使ってよく分からない実験をするわけにはいかない、ここは予防医学的な観点から、放射線量ゼロを理想として、多少でも増えれば発がん率も比例的に増えるとみなすべきだろう、いや、そうに違いない、とする立場である。
 双方に明らかなのは、共に証拠のない「予断」にすぎない、ということである。先ほど「信仰」と申し上げたが、この両者は、証拠がないだけに話し合うこともできず、まるで狭量な二つの新興宗教の信者の如く、議論もなく相手を否定しつつ静かに対峙しているのだ。
 どちらかと言えば、予防医学派の言説のほうが優勢である。なぜなら、よく分からないのに実験台にすべきではない、という主張は、ホルミシス派にそのまま当て嵌まり、「もしそうでなかったら、どう責任をとるのか」と詰め寄られれば、ホルミシス派に反論の余地はなさそうに見えるからである。
 しかしここで注意すべきなのは、現在フクシマ県内に住んでいる人々は、どちらかと言えばホルミシス派を信じたい、と希望していることだ。ここに暮らすにはそれなりの後ろ盾になる考え方がほしい。確証はないけれど、そうであってほしいと、我々は切望している。
 しかし一方の予防医学派は、極端に言えば、早々にフクシマを出よ、と外から呼びかける。現在、福島県の人口は五万八千人以上流出してしまったが、彼らは主に子供たちのため、という錦の御旗を掲げ、予防医学的な立場で出ていったと言えるだろう。放射能によるストレスを逃れ、彼らが果たしてトータルでストレスのない暮らしをしてくれているかどうかは不明だが、とにかく彼らは自らの信仰のために新天地を求めた。まるでメイフラワー号でアメリカに渡った清教徒の如くではないか。
 しかし予防医学派の人々の多くは県外の人であるために、事はそれで済みはしない。細かいデータなど関係なく、とにかく子供がいるなら県外に出よ、と言い続ける。そしてそれができないなら、福島県産の野菜や牛肉は食べるな、いや、それどころか、東北の野菜や牛肉は食べるな、とまで言い募るのである。
 万に一つでも危険の可能性があれば、避ける。それは予防医学的には当然の態度だと云えるだろう。しかしここでもう一度注意していただきたいのは、この考え方から「フクシマの人とは結婚すべきではない」というアイディアまでは、歩幅にして一歩もない、ということだ。予防医学的な目線にはすでに差別の萌芽がそれと知れず含まれている。差別さえ、予防医学的には正当な一方法であり得るのである。
 ところでこの両者の関係だが、何かに似ていると思わないだろうか。
 そう。不思議なほど、大震災以前の原発推進論者と反原発論者の関係に似ているのだ。議論の土俵がないことも、共に信仰に近かったということも……。どちらがどちらに、とは言えないが、なぜかその関係が相似形にさえ見えてくる。
 より複雑なのは、県内に住んでいる人々の心が全体として「ホルミシス派」とは言い切れないことだ。じつは予防医学派でありながら経済事情やその他家庭の事情で出て行けないストレスフルな人々もいる。またそうでない人々の中にも、積極的「ホルミシス派」であるよりは、むしろ無知であったり、「感じないものは無いとみなす」人々も多い。またなかなか報道されないが、原発から二十キロ圏内には、「お気持ちはありがたいが、ここで死ぬつもりなのでおかまいなく」というとことん覚悟派の人々までいるのである。
 要は、予防医学派は放射線への怯えを最大の基準として判断するのに対し、他の人々はそれに勝る人生上の判断基準が別にあるということかもしれない。基準が違うということは、これは勝負にさえならないということだろう。
 もしもホルミシス派と予防医学派だけで勝負したとしても、おそらくは不毛な結末しか得られないだろう。早々に発がん率に変化が出るとも思えないし、出たとしても、その原因を放射線に特化するのは難しい。一方、ホルミシス派の説が正しかったとすると、福島県人が揃って長生きということになるのかもしれないが、むろん相手はそれを放射線のせいだとは決して認めないだろう。これまた原発を巡る推進派・反対派のありさまそっくりなのである。

 以上、感覚が信じられず、しかもイデオロギーの如き不幸な分裂や、複雑な混淆を生きている現在のフクシマを描いてみたわけだが、苦悩はそれだけではない。
 今回、我々は巨大な震災によって徹底的な無常に気づきながら、しかも向き合っているらしい相手は無常の原理から逸脱している。半減期三十年のセシウム一三七はまだしも、プルトニウム二三九の半減期は二万四千年、同位体のプルトニウム二四四など、半減期八千万年である。
 かくも無常ならざる相手を前に、いったい我々はどのように対処し、自らの無用な感覚とどうつきあえばいいのか……。
 放射性廃棄物の処分場所を早く決め、大がかりな除染を行なうべきことは言うまでもないが、問題なのは、そこへ至る過程も含めた自分の感覚とのつきあい方である。
 かつて、釈尊は、「感覚を信じるな」と言い放った。あらゆる感覚にはすでに、自分の都合どおりに方向付けようとする「行」(=サンスカーラ)がはたらいているからである。それが「苦」を生むというのが「十二因縁」という「苦の連鎖」の認識なのだ。
 しかしはたして我々は、瞑想によって感覚を溶暗し、「苦」から逃れてしまっていいものだろうか。そんなことが、日常生活で可能とも思えないし、たとえできたとしても、それでは放射線の危険にどんどん身を晒すことにもなりかねない。また五十五歳の自分はそれでよくとも、けっして若者や子供たちに勧められる方途ではあるまい。
 概念は妄想として切り捨てた釈尊だから、きっと予防医学的処置も、ホルミシス派の態度も、採らないだろう。しかし器械でしか感じない脅威に、いったいどう対処するのか。これは「お釈迦さまでもご存じない」問題ではないか。いや、私は単に嘆いているわけではない。苦悩こそ新たな何かを生みだすフロンティアに違いない。そう思うから、負け惜しみではなく、なにか途轍もなく新しい感性が、ここフクシマから生まれてきそうな気がするのである。

2011/11/30 Kototoi 第1号

タグ: 東日本大震災