1. Home
  2. /
  3. エッセイ
  4. /
  5. もう、理屈ではなく

もう、理屈ではなく

 原発をどう思うのか。その問題に、理屈は要らなくなった。理屈ぬきに、駄目である。
 まるで身内や恋人を徴兵で取られようとする女性のような物言いだと思われるかもしれない。「君、死にたまふことなかれ」与謝野晶子の文章にも、感じたのはたしかに理屈でなく情念ばかりだった。
 しかしどう思われようと、とにかくもう理屈ぬきで肯定できない。それは福島県に今も起こり続けている困難な状況のせいだ。
 本当に彼らは何もわかってはいなかったのだ。イザというときの避難誘導の仕方も、自宅退避期間が長引けばそこで暮らしてはいけないことも、付近の動物たちがどういう状態になるのかも、安定ヨウ素剤の配り方も、また除染のやり方も、除染した際に出る土をどこへどう保管するのかも……、何もかもである。
 原発反対にゃ理屈は要らぬ、フクシマに三月(みつき)も住めばいい、まるで歌の文句のようではないか。冗談じゃなく、節をつけて歌いたいくらいだ。
 ところで私は、昔から江戸時代の参勤交代という制度をとても面白いと感じてきた。いたずらに地方の大名を疲弊させるという批判も間違ってはいないだろうが、当時、地方に住む人々にとってそれは、何はともあれ江戸に一年間住めるチャンスだった。大名でもその事実を重く見る人もいて、なかには馬の飼い葉桶を洗う役、などという無理な仕事を作ってまで若者を江戸に送り込んだ。その見聞を、帰国後にお国で発揮させようとしたのである。
 そう。私はフクシマに大勢の人々が、参勤交代でもしてくれれば理屈抜きに分かるだろうと、そう申し上げたいのだ。
 事故から九ヵ月ちかい今、県外への避難者は五万八〇〇〇人以上、また自宅に住めない人々は十五万人を超える。浜通りの温かい土地に住んでいた人々が、雪の積もる仮設住宅で過ごすケースも多い。参勤交代の仕事の一つに、雪下ろしや雪かきなどは如何だろう。
 戻るべき家は、あるいは地震で壊れ、津波に流されたところもあるが、通常ならすぐにも修理したい人々も、高い放射線量のため、入れない。地震で壊れた屋根から始まった雨漏りも、放射能のせいで食い止められないのである。
 人が住まず、草ぼうぼうの土地には、今も一〇〇〇頭以上の牛や豚やダチョウ、ガチョウまで闊歩する。震災後に生まれた仔牛も多く、彼らはいわば人間に接したことがない、という意味で野生に近い。
 無人の草むらは、イノシシも大好きだ。しかも彼らは摂取禁止になったタケノコやキノコを、たぶん好んで食べている。たっぷり内部被曝した野生のイノシシが、四、五年後には警戒区域に住みきれなくなり、どんどん域外にあふれ出てくるとも予想されている。
 生き残った豚たちは勝手に家に這入り込み、あらゆるモノにあの鼻を押しつける。地震や津波では無事だったのに、そのせいで使えなくなった家もたくさんあるのだ。ブタとイノシシの、交配も予測されている。そこは拡大しつづける、野生の王国なのだ。
 参勤交代で来た若者には、是非ともホームステイをお願いしたい。
 事故後まもなくは助け合い、連帯し合った仲のいい家族も、今はそうしてもいられない。
 小さな子供の母親は、県内産の米や野菜を食べないと言い、ちゃんと検査してるのだから食べるべきだとジージは怒る。息子は嫁の味方になり、バーバも迷った挙げ句に孫側につく。都会から来た若者には、ジージの宥(なだ)め役でもお願いしようか。食事をつくるのは結局バーバか嫁さんだから、どう転んでも食べるのは県外産になる。ジージは無口になり、若者にばかり当たり散らすのだ。
 たまたま農家にステイした若者は、運悪く毎晩ご飯のたびに酔った親父に責められる。検査してもND(不検出)の米なのに通常の価格では売れない。これまで二〇年以上有機農法で野菜も作り、都会に固定客もいたのに、味と健康にこだわる固定客たちは真っ先に今年の注文をキャンセルした。これならいっそ、JAに売っていたほうがマシじゃねえか、なぁ若造、そうは思わねぇか。
 そう言われても、僕にはよく分かりません。なに? わからねえ? わからねぇってお前、フクシマで作った電気、使ってたんだろ? そこんとこ、どう思ってんだ? こちとら原発から四〇キロも離れてるし、何の恩恵も受けてねぇんだぞ。なぁおい、何とか言えよ。すみません。蚊の鳴くような声で言っても親父は許してくれない。毎晩親父が酔いつぶれるまで、参勤交代の若者はつきあわされるのである。
 それなら生活の安定した、学校の先生宅でのステイならどうだろう。
 このところ放射線教育のガイドラインが文科省から発表され、教えるべき知識や参考資料などは示された。中学校で教える先生は一旦はほっとしていたのだが、しばらくすると夜も眠れなくなった。子供に教えた内容に、親たちが夜になって電話で質問をよこすのである。
 結局彼らが訊きたいのは安全かどうか、それに尽きる。ところが指導要領にはその点には触れないようにと書いてある。やがて先生も奥さんも夜の電話に出るのが怖くなり、毎晩参勤交代の若者が代わって電話に出るようになる。親たちは当然、さらに怒る。翌日には昼の学校にも電話をかけるようになる。先生夫妻は電話恐怖症になり、とうとう参勤交代の若者は家に隠(こも)ったまま、二人の食事や下の世話までするようになっていったのである。

 ちょっとふざけて書いているように思われるかもしれないが、以上は参勤交代の若者の存在を除けば、すべて真面目な現実である。
 若者は、原発の事故一つでこれだけのことが起こることを悟り、どんな理由があっても二度とこのような現実を招いてはならないと思うことだろう。参勤交代の甲斐もあるというものだ。
 しかもこうした理不尽な災難は、これ以外にも次々に予測もしない形で起こりつづけているのである。
 なに? 日本人の技術で今度こそ安全な原発が作れるはずだ?
 たしかに日本人の優れた技術革新力は認めてもいい。しかし問題なのは、それがリスクの大きすぎる「賭け」だということだ。
 万が一のことが起こらないことへの賭けなのは言うまでもないが、原発にはもう一つ、自分自身が直接は関与しないことも、無意識の賭けのように願われている。
 現在、事故現場の復旧作業に当たっているのは約三〇〇〇人。今でこそ少しは改善されたものの、彼らは常に被曝しつつ過酷な労働を続けている。いや、通常の定期点検でさえ、被曝せずには済まないのである。聞くところによれば、その多くは福島県、しかも浜通りの人々だという。
 どうだろう。それほど日本人の技術を信じ、政府の方針にも賛成だというなら、主にその電気を使っている地域の人々に、交代で作業していただいたら……。むろん給料ははずむ。ちゃんと鉛の部屋を作り、寝るときだけは被曝しないようにしよう。
 すでに裁判員制度という模範的な前例があるではないか。
 どんなに嫌な役でもみんなで関わり、それぞれに負担を分かち合う。それがこの国の作法になったはずである。被災者にも容赦なく裁判員の通知は来るのだから、たとえ大会社の社長でも東電の幹部でも、クジに当たったらJヴィレッジ経由で第一原発の作業に当たっていただこう。今後は、何シーベルト以上被曝したら一人前、という国民としての新たな基準を作ってもいい。一定量以上被曝した人だけが、国会議員にもなれる、というのはどうだろう。
 どだい、自分は絶対にしたくないが、他人にはしてもらわないと困るというなら、それは「賭け」にさえなっていない。「欺瞞」というのである。
 こうした現状で、この国はベトナムなどに原発を輸出しようとしているらしいが、「欺瞞」という言葉はすでに使ってしまったし、何と呼べばいいのだろう。「悪魔」か、「魔の商人」か。いずれにせよ、金に目が眩んだ人非人(ひとでなし)の所業には違いない。あるいは技術の奴隷、か。

 もう、だんだん書く熱意が薄れてきた。
 これだけ言ってもやるというなら、やればいいではないか。
 いずれ遠からず再びの大地震が来て、次の原発が事故に遭い、おそらく富士山も連動して噴火などして、今度は首都圏にも多大な被害があることだろう。いや、べつに脅すわけではない。実際二〇〇九年には、GPSにより富士山の膨満が確認されているのだから、非常に現実的な話である。イザそうなれば、皆さん充分に分かってくださるはずだし、べつに私がここで必死に述べ立てることもないのである。
 通常、この国は外圧によってしか動かない、と言われるが、次の地震、あるいは富士山の噴火などは、外圧になりえないのだろうか。
 なんだかとても不思議である。
 やっぱりアメリカ様が原発を全廃するまでは、全廃しないのだろうか。ずいぶん立派な植民地になってきたものだ。
 まぁお国のほうも、被災地のことよりTPPが大事なようだし、どうか宗主国様がお気に召すよう、奮闘努力していただきたい。
 現在、福島県民は全国すべての都道府県でお世話になっているのだし、東京にも一三〇〇人以上が滞在している。もしもの時には福島県も、率先して疎開先として名乗りを上げるつもりなので、もしもうちのような被曝地域でも宜しければ、どうぞご遠慮なくお越しいただきたい。
 最後に現実的な提案を一つだけしておこう。
 被災地の高速道路が来春まで無料化されたが、私の周囲ではそんなことをせず通常どおり徴収し、除染などのために有効に使ってほしいという声が優勢である。
 参勤交代のことはともかく、この件だけでも政府にはご検討いただきたい。

2012/03 いまこそ私は原発に反対します。

タグ: 原発