今回の特集テーマそのもののようなタイトルである。
「生活」を「暮らし」に変えたのは私の単なる趣味だが、私が書く以上それは「暮らしの中の『仏教』」ではないか、という疑念をもたれるかもしれない。
それについては、日本人の暮らしに溶け込んでいるものが、必ずしも仏教とは限らない、という私の思いから、と申し上げておこう。
儀式や法要などとは別な側面から、日本人の暮らしの中の宗教的心性について考えてみたい。
日本人の暮らしにおける宗教性を考える場合、まず私の頭に浮かぶのは正坐という世界で唯一の坐法である。この坐法を除いては、日本人独特の宗教性が見えてこないような気がする。
むろん、正坐とて仏教由来というわけではない。多田道太郎氏によれば、主君と家臣が同一平面で安坐と跪坐で坐り分けていた鎌倉時代を経て、主君の場所にだけ畳が入ることで、同じ坐法で坐ることが可能になったという。そうして発案されたのが正坐で、お茶によってそれが定着したらしい(同氏著『しぐさの日本文化』)。
この坐法が、日本人の宗教性にとってなにゆえ重要なのかというと、何より我々の呼吸がそれによって腹式呼吸になり、副交感神経優位に導かれる。そのため、我々は否応なく「安らぎ」を感じ、他人への受容力も高まるのである。
生理学者の有田秀穂氏などの研究結果からも、腹式呼吸が心の受容性を増すように働くことは知られている。そしてこの腹式呼吸へと誘引するのが正坐なのである。
日本人の宗教性の本質にあるのは、私は大いなる「受容性」だと思っている。その背景には、むろん並列する神々(八百万の神)を対等に重んじる古代神道的な思考もある。これは重要な要素だろう。また鈴木大拙氏の言うように、浄土教の説く「無縁の慈悲」の影響もあるだろう。夕日の如く、すべてを受け容れる阿弥陀如来を信仰するわけだから、受容性はその面からも涵養されるはずである。
しかし私は、正坐という坐り方そのものが、我々の受容性や寛容さに大きく関与していると思うのである。
我が禅宗の修行道場では、基本的に坐禅という坐り方をする。坐禅はじつに個人主義的である。つまり、なにか用件があったとしてもすぐには立ち上がれない。いや、むしろ、そうした世俗の用事など忘れて坐るのが坐禅なのだ。
一方、正坐にはじつに社会性がある。そのまま無念無想になることも不可能ではないが、正坐はそもそもいつでも立ち上がって用件に対応できる。別な言い方をすれば、坐っていても相手のことが気遣われているということである。大袈裟と思われるかもしれないが、坐禅が自己解脱型だとすれば、正坐は待機型、いや、時には衆生救済型とさえ言えるかもしれない。
正坐するかぎり、日本人は仏教徒であれキリスト教徒であれ、日本人的寛容さや受容性を併せ持つことになる。教義とは関係なく、生理的な要請としてそうした心性をもつことになると思うのだが、如何だろうか。
日本人の生活習慣で、次に宗教性を感じるのはお辞儀である。
世界にはさまざまな挨拶があるが、相手に対面してあらためて頭を下げる民族はけっこう珍しい。
この習慣について、哲学者の上田閑照氏は「禅で言う寂滅現前なのだ」とおっしゃっているが、慧眼だと思う。
客に向き合うには、まずそれまでの自己を寂滅させ、ニュートラルな状態に戻ってあらためて逢うべきだということだろう。
客が来たとき、たとえば夫婦喧嘩をしていたかもしれない。あるいは嬉しいニュースで歓喜雀躍していたかもしれない。しかしいずれだとしても、全く別件で訪れた客に、その顔を披露することはない。敷居の前で深々と頭を下げ、顔を上げたときは生まれ変わった「初心」で向き合うべきだということだろう。
敷居とは、我々を生まれ変わらせてくれる結界でもあるから、踏んではいけないのである。
こうしたお辞儀文化は、もしかしたら「無常」を行動化したものではないか……、そんなことを思うこともある。
つまり、昔から天災の多かった日本人にとっては、「諸行無常」は他人事ではなかった。昨日まで元気だった家族・親族が、あるいは噴火や地震で亡くなり、あるいは津波に押し流されたり、火事で焼け死んだりすることもあったはずである。
歓喜雀躍ではなく、むしろ悲しみを振り切るためにこそ、お辞儀したのではないか。沈む心を、お辞儀のうちになんとか立て直したのではないか。
忘れようとしても忘れることのできない「面影」を、我々はどうしても「なつかし」む。この二つの言葉も古代から使われた典型的な和語である。
しかし面影をなつかしみつつも、人前ではあえて自ら「無常」であろうとし、寂滅現前して平常心を取り戻したのではないだろうか。
こうした考え方は、「こんにちは」という挨拶言葉にも滲みでている。「今日は」という珍しい挨拶には、他言語の挨拶のように分かりやすい「祈り」の言葉が見当たらない。つまり「ボンジュール」の「ボン」、「グーテンモルゲン」の「グーテン」、「你好」の「好」のような、「願い」がはっきり見えないのである。
しかし日本人は、ただ曖昧に何の願いもなく「こんにちは」と呼びかけているのだろうか。それは違うと思う。
何より「こんにちは」は、「こんにちも」ではないことが肝要である。今日は、昨日とは全く違う日であれと、我々は祈っているのではないか。もっと言えば、「は」という強調の副助詞は、「こそは」に置き換えてもいい。じつはこの挨拶言葉にも、昨日までとは打って変わり、生まれ変わることが願われているのである。
お辞儀が「無常」を行動化したものだとすれば、「こんにちは」は「無常」の言語化である。
お辞儀とそこに添えられる挨拶言葉は、共に連動しつつ、相手に虚心に向き合うことを示唆している。これは結局のところ、正坐にも通じる「受容性」であり、また相手への寛大な心配りではないか。
先に私は、なにげなく「初心」と書いた。これは世阿弥の『花伝書』にも登場する重要な言葉である。世阿弥は年齢に応じた初心があるのだと言うが、戻るべき初心は、なるほどその時々の「無心」であるほかはない。
そして千利休はそれを「もとのその一」と歌った。
稽古とは一より習ひ十を知り十よりかへるもとのその一
日本人は、事あれば「一から出直す」ことを心がけてきた。
稽古の場合も、習ったことを繰り返し、無意識にできるようになったその時点で、「もとのその一」に返ることになる。要は、完全に「身につく」ということだろう。そしてまた新たな学びが始まる。
別な言い方をすれば、これは決して完成しない、ということでもある。
日本の美は、完成に見出されるのではなく、むしろ常に完成を求めるプロセスのうちに発見される。禅では「百尺竿頭に一歩を進む」というが、ある種の均衡を破って我々は常にダイナミックに動きだそうとするのである。
今回の東日本大震災においても、東北の人々は悲嘆に暮れつつもそれを束の間に「天命」と受けとめ、大いなる変化の契機と捉えた。久しかった安定をむしろ反省し、悲しみを寂滅させて再び立ち上がったのである。
世界が賞讃した秩序と忍耐の背景には、じつはそうした心性が働いていたのだろうと思う。
無常を挨拶にし、お辞儀という行為にまで移した日本人だが、むろん無常に変化してくれないものもある。
喪失の悲しみは、忘れようと思っても簡単には忘れられないし、また逆に忘れるまいという心情も一方にある。先の「なつかし」き「面影」を、誰もが引きずってしまうということである。
こうした、無常ならざる心性のことを、日本人は「もののあはれ」と呼んだ。本居宣長は、人情や世の中のことを知らなければ「もののあはれ」は分からないと述べるが、ここでの「もの」とは、植物、動物、果ては無生物も含んで、感応しあう存在の全てではないか。
おそらく、人は「なつかしむ」心情が強ければ強いほど、自らは無常に変化しようとする。変化を肯定する仏像の代表的なものが三十三変化する観音さまだが、観音さまがこれほどまでに日本人に好かれ、この国に無数に存在する所以である。
宗教という言葉は、当初英語のReligion の訳語として用いられるようになった。Religion とは本来一神教のことだから、こうした日本人の宗教心については、じつは規定外の事態ともいえる。
Religion の観点から、日本人は自ら無宗教だと思う人々が多いようだが、以上からお分かりのように、全くそのようなことはない。
いや、むしろ、日本人ほど宗教的な民族も少ないのではないか。ただ、挨拶言葉やお辞儀にまで深く浸透し、「もとのその一」に含まれてしまったから、外からはなかなか見えにくい。我々はそうした独自の宗教心に、もっと自信をもつべきだと思う。
2012/06/30 弘道 第1078号