このところ、三春町の仮設住宅に住む富岡町や葛尾村の方々とおつきあいがある。
昨年の十二月にお寺の「もちつき大会」にご案内を出し、大勢の方々と知り合ったのだが、その後もいろんな機会にお目にかかって親しくなった方々も多い。
今年の夏には女房が浴衣を寄付してくださる企業などを捜し、やはりご寄付いただいた帯地で葛尾村の方々と帯を作った。盆踊りにはその浴衣と帯で踊ってくださったのも嬉しかった。
仮設住宅での暮らしは二年が原則だが、福島県の場合、原則どおり行かないことは当初から分かっていた。いつまで続くのか先の見えない生活は、それだけでストレスの多いものだろう。まして避難後に何らかの病気になってしまった人などは、本当に心細いだろうと思う。
実際、どの仮設住宅エリアにも、殆んどウツ状態で外出もしなくなっている人々がいる。見廻りや声がけなど、意識的な確認が必要になる所以である。
しかし当然のことではあるが、そんなふうに落ち込んでいる人ばかりではない。
つい今し方も、富岡町のSさんが「ポン菓子」を持ってきてくれた。先日の三春の秋祭りにボランティアで作ったものを、わざわざ食べさせようと持参してくれたのである。このまえは神奈川県に旅行に行ったお土産だと、お茶を持ってきてくれた。そのまえは確か餅だったと思う。年齢的には父親に近く、避難後に腰の手術も受けたりしているのだが、車は運転するしとにかく元気なのである。
Sさんは、「こんな幸せなことはない」と口癖のように言う。三春の人たちに、本当によくしてもらっているというのだ。どうやらすでに親しい知り合いもいるようだが、聞いてみるとそれとは関係ない話のようだ。
「この町に税金も払っていないのに、町の道路を走らせてもらうし、下水も使わせてもらうし、雪が降れば町で除雪してくれる」という。「だから買い物は、必ずこの町に昔からあるような商店でする」というのである。
なんだかジンと来てしまった。おそらくSさんの考え方そのものが周囲の心を溶かし、よい人々やよい町にしてしまうのだろう。
「和尚さんの本に書いてあったぞい」と、Sさんは笑う。「ええっと、たしか馬の話だったな」。私は恐る恐る訊いた。「もしかして、塞翁が馬ですか?」「そうそう、それだ」。だからSさんは、今度の震災も原発事故も、悪いことばかりとは思わないというのである。
息子さんにも手伝ってもらい、最初の一時帰宅でSさんはカラオケセットを持ち帰り、集会所に置いて毎週水曜の午後に皆で歌っているらしい。
人間万事塞翁が馬。なるほど震災のお陰で私もSさんと知り合えた。
2012/11/25 福島民報