特定秘密保護法案が成立してしまった。衆参両院とも強引な形で採決された。先月二十五日に福島市で開かれた公聴会と称する集会では、発言者全員が反対表明や慎重な審議を求めたにもかかわらず、である。通常、こういう拙速なやり方をされると、いったいどういう魂胆なのかと、それだけで真意を疑ってしまう。法案が国にとってどうしても必要であり、きちんと話せば分かってもらえると思うなら、腰を据えて議論をすべきではないか。
今月三日には、参議院でこの法案を審議する特別委員会が開かれ、そこで与党側からの参考人として全国地方銀行協会元会長の瀬谷俊雄氏(元東邦銀行頭取)が次のような意見を述べた。
「国際問題や通商問題に携わる人は高いレベルの機密を保つ必要がある。しかし民間人が処罰の対象になるのは疑問だ。銀行員は取引上、知り得た情報を退職後も守るべきだが、法律ではなく企業倫理で律している。あえて懲役刑を設ける必要はない。法案に該当する国益の範囲を絞って、集中的に適用されたらいいのではないか」(4日付「福島民報」)
実に尤もな、大人のご意見だと思う。思えば銀行員ばかりでなく、教員も医師も宗教者も、職業上知ることになる秘密を抱えている。しかも大抵それは文書によって「特定」されたりしないから、どれが秘密か、なぜ話してはいけないのかは、経験のなかで学んでいくしかない。いや、それこそが職業人としての成長というものだろう。つまり、秘密を特定するのは、殆んどの社会人にとってはその職業に従事することで身につく「見識」なのである。
昔、中国では始皇帝の秦が細かい規則を無数に作り、厳罰主義に陥って十五年で滅んだ。続く漢の高祖劉邦は「法は三章のみ」と宣言し、むしろ徳による統治を目指した。漢が四百年続いたのはその「徳治」のお陰と思えるが、日本も、基本的にはその路線で進んできたはずである。しかし今回の法律の懲役十年という罰則の厳しさは、むしろ疑い深かった始皇帝の厳罰主義を彷彿させる。
今後は「行政機関の長」が特定秘密を指定し、「適正評価により、特定秘密を漏らすおそれがないと認められた職員等」だけがそれを取り扱うらしいが、実際には官僚の情報占有が懸念される。
瀬谷氏が心配するように、話は公務員だけには収まらない。特定秘密の範囲は防衛、外交、特定有害活動(スパイ行為)、テロ活動防止に関することだというが、石破茂氏のようなテロ解釈だとこれもどこまで広げられるかわからない。
本当の狙いがわからないほど拡大解釈が可能なだけでも悪法である。原発事故以後、「秘密」がどれほど不安を増幅させたか、首相はもうお忘れなのだろうか。「見識」や「徳治」を諦めた国の行く末は、考えるだに末恐ろしい。
2013/12/08 福島民報