このところ、節分が近づくとあちこちで恵方巻きが売られるようになった。昔は関西圏にしかなかった習慣のはずだが、どうやらこれを広めたのはコンビニらしい。先日沖縄に行ったら向こうのコンビニ前にも恵方巻き宣伝用の幟(のぼり)旗が何本も棚引いていた。商魂がこの国を一色に染めていくようでいささか恐ろしい。
あるコンビニで、千五百本も売れたと聞いて驚いていたら、なんと別なコンビニでは一人の販売員が一万本の注文を取ったというから半端じゃない。いずれも福島県内での話である。
しかし考えてみれば、ヴァレンタインデーのチョコレートだって、お菓子屋さんが広めたようなものだし、各種商品の販促のために「○○の日」なんてのもどんどんできている。単に恵方巻きが広まっただけではとりたてて騒ぐほどのことではないのだろう。
欲を言うなら、せっかく恵方という考え方を広めるなら、ついでに「方違(かたたが)え」なども広めたらどうだろう。恵方とは逆に、忌むべき方角も平安時代には問題にした。悪いとされる方角に行かなくてはならない場合、一旦別な方角に出かけ、場合によってはそこに一泊してから目的地に向かうことで、障害が起こることを未然に防ごうとしたのである。
手間暇をかけ、問題が起こることを慎重に避ける、という意味では、節分の元になった追儺(ついな)や鬼遣(や)らいなどもそうだろう。昔は、鬼が嫌がるという桃の木の枝を玄関前に置き、各家ごとにその侵入を妨げたらしい。人は昔から、鬼や魔物を怖れてきた。人知を超えた現象があることを、素直に信じていたのだろう。
本来は御札も桃の木で作ったらしいが、なぜ桃の木か、というと、桃の花は無邪気の象徴で、邪気に対抗できるのは無邪気だけ、という理屈なのだ。徒手空拳で未然に防護する、これ以上の防衛法があるだろうか。
こんなことを書いたのは、最近のこの国が、まるでこうした歴史的な智慧を忘れたかのように、にわかに積極的な防衛を企てはじめたからだ。韓国や中国が挑発的なのは確かだが、それをはぐらかす智慧をこの国には期待したい。
桃の木で未然の防護に努めているうちはよかったが、日本人はやがて「桃太郎」という物語を作り出す。鬼は悪い奴、という前提があるのだろうが、かつて鬼がどんな悪事をしたかも聞かされず、わざわざ鬼ヶ島まで出かけてやっつけるあの物語は、「侵略」と言われても仕方ないだろう。今の日本にはどうも桃太郎の面影が感じられるのだ。
やはり無邪気な恵方巻きのほかに、「方違え」の慎重さが欲しい。今年になって、中国からの観光客が大幅に増えてきている。尖閣諸島の問題はあっても、「日本製」の特に空気清浄機などが飛ぶように売れるそうだ。平和をもたらすのが商魂だとすれば寂しいけれど、お互い、実際に戦えば恐ろしい鬼になることは、記憶の底にまだ残っているはずである。
2014/02/09 福島民報