神秘について解説をするなんて、じつに不粋な話である。しかも本書で「神秘家」と括られている方々は、誠に多彩である。柳田国男や泉鏡花、平田篤胤など、神秘を精密に記述せんとした人々もいる一方で、仙台四郎の如く、晩年の「没蹤跡」ぶりこそ神秘だが、本人にとっての世界は極めてシンプルだったと思える人もいる。
天狗小僧寅吉は、生得らしい予知能力が、天狗に弟子入りすることで大いに涵養される。そもそも天狗じたい神秘なのだし、寅吉も神秘に属するのは間違いないのだろうが、彼にはむしろ神秘家たちの好餌としての側面が際立つ。
駿府の安鶴に至っては、もう神秘というより怪人ではないか。彼自身はけっして神秘を求めていたわけではないだろう。
神秘とは何なのか、まともに考えてみると、少年時代の柳田国男の下総での体験が鮮烈に浮かぶ。祠の中に興味をもつのは少年の常かもしれないが、例えば福沢諭吉は、開けても何も起こらなかったことを誇らしげに語った。そして古い迷信を払拭し、いわば啓蒙と称して思考の近代化を叫んだのである。
しかし少年だった柳田国男の感性はそれとは全く違っていた。ご神体であった「ろう石の珠」を持った国男少年の異変が、水木氏によって丁寧に描かれる。おそらく畏怖のあまり、通常から逸脱した感性が、昼間の星を捉えるのである。
簡単に言えば、チューニング次第で世界はまったく違った顔つきを見せる。いわゆる常識的な範囲にアンテナの周波数を戻すことを、社会は正常化と呼び、時には治療と呼ぶ。しかしそれは、「豊かな感性」という視点からは、明らかに退歩ではないか。
もとより釈尊は、世界に起きる事柄が、追跡できないほど無限の関係性の結果であることを見抜き、それを「縁起」と名づけた。これほど人に語ることが難しい事柄もあるまい、という自覚が、仏典では「梵天勧請」として語られる。つまり梵天が、それでも「縁起」を一生かけて語ってほしいと、ブッダに勧め請うのである。
単因論を嫌い、しかし合理性を愛した釈尊は、当初は供犠など非合理と思えるものを悉く禁止した。しかし歯痛の際のおまじないなどを許したことから、密教的な「神秘」がやがて仏教の大きな伏流を成していく。要するに、「縁起」は最終的に「神秘」の視点なしでは語れない。「無限の関係性」を言語化することは、せいぜい近似値までしかできないことに、仏教は気づいていくのである。
「神秘」と言われるものを保つことは、そう考えるとじつは最も理性的なのだと気づく。常識では追跡しきれない「縁起」を象徴するように、仙台四郎が去ってしまったのも頷けるだろう。純粋で瞑想的な智慧こそ、じつは「縁起」の全体性を直観的に把握する。釈尊が深い瞑想においてそれを把握したのも当然のことなのである。
「神秘」について考えるとき、もう一つ忘れていけないのは、その認識には常に「慈悲」がはたらいている、という事実である。
たとえば「駿府の安鶴」において、「きつね憑き」が扱われるが、これは現代においては、「解離性同一性障害」という精神疾患とされる。つまり、異常な人格出現の源を、すべて自己内部に措定するのである。
無限の関係性を、自己内部に単因化するか、外部からの憑きものとして単因化するかは、ほぼ同罪の過ちと云える。しかし外部から憑いたとする見方には、間違いなく当人に対する「慈悲」がはたらいている。少なくとも、憑き物が離れれば元に戻るのだし、発症じたい、本人のせいばかりではないことになる。
実際、私自身も、何人かの方に出現する別人格を「祓った」経験がある。また知人の和尚には、三十人ちかい「きつね憑き」を祓ったという人もいる。内部からの解離と診るより、外から憑いたと見立てたほうが治る道筋をつけやすいのではないか。
いずれにせよ「神秘」とは、理詰めの論究では至れないという謙虚な自覚によってわずかに確保される、「不思議な経験」のための容器であろう。いま論究できないのなら、器ごとずっと保てばいい。
水木氏の「神秘」を扱う手つきは、じつに鷹揚で頼もしい。
本作には六編が収録されているが、いずれにおいても水木氏は丹念な背景描写を怠らず、人間関係にも深く分け入ろうとする。しかしギリギリのところでその手を緩め、そのまま放り出すのである。
おそらく水木氏にも、どこかに論究せず器ごと保とうという、当人にとっては救済ともなる視点がはたらいているのではないか。
泉鏡花が母に与えられた水晶の兎のお守りを、あれほど熱意を込めて描く水木しげるという作家も、私は神秘家の一人に数えたい。
水木しげる漫画大全集 神秘家列伝 下巻