禅における心とかたち

 臨済禅師一一五〇年、白隠禅師二五〇年遠諱(おんき)を記念し、東京国立博物館で「禅ー心をかたちにー」展が十月十八日から開かれる。先行してこの春に京都展があったわけだが、それとはまた些か形を変え、即ち心も入れ替えて再びのお目見えである。
 臨済禅師といえば我が臨済宗の開祖、また白隠禅師は現在の日本臨済宗十四派すべてを中興したとされる方だから、扱う範囲はじつに広い。黄檗宗も含めた十五のどの本山からも、至宝が運ばれた。国宝二二件、重要文化財一〇二件という内訳も充分頷ける。
 しかし出展が幅広く、しかも制作年代も長期にわたるということは、よほど焦点を絞って見ないと散漫に流れかねない。それぞれ事前に自分なりのテーマを設定してご覧いただきたいものだが、ここではタイトルの「心とかたち」に拘(こだわ)って些か禅について考えてみたい。
 曹洞宗は「威儀即仏法」という考え方が徹底している点シンプルだが、臨済宗とて初めはむろん形から入る。司馬遷の『史記』に「竈を祀れば物が至る」とあるが、竈を造って祀ることで物が至る、つまり竈の神がやってくる、というのである。「もの」とは物質だけでなく、いわゆる「もののけ」の如き霊的存在も意味している。神を招くために竈を造るように、お釈迦さまがお悟りを開いたとされるスタイルで坐禅を組み、その悟りの内実を呼び込もうというのである。
 坐禅に限らず、形が決まると心が受け継がれていく、と信じるのがあらゆる「道」だろう。茶道、花道、あるいは仏道やその他の芸道も、とにかく形の習得が優先され、それに見合った心が無意識に沁みだすことが期待されている。
 逆修法号(生前戒名)や生前葬儀という形式が、武士の戦場における覚悟を促し、それによって殆んどの戦国大名のブレインを禅僧が務めることになった。これもまた、形が心を促す一例であろう。
 形の多くは、とにかく反復練習によって身につく。身につくことで、ようやく形を忘れ、それに見合った心が「自ずから」生ずるのだ。『金剛経』の「応無所住而生其心(おうむしょじゅう にしょうごしん)(応(まさ)に住する所無くして其の心を生ずべし)」という言葉が六祖慧能(えのう)の入門の契機とも言われるが、この住する所無き「其の心」こそ、禅の求める無意識で自在な心なのである。 無意識で活発な「其の心」は、さまざまな状況の中で新たな形を模索していく。意識ではなく無意識においてこそ、命が本来もっている創造性が発揮されるのである。おそらくこれが、タイトルの副題「心をかたちに」の含意であろう。茶道具や障壁画、頂相やさまざまな水墨画など、禅の精神を汲んだ多くの芸術作品がそれによって産みだされていく。今回は、それを展示した展覧会と言えるはずである。
 しかし欲を言えば、問題はそこから先である。
 多くの「道」を学び始めた人は、仏道も含めてその関連作品の多さに圧倒される。いわば、活発で創造的な心が産みだしたものだが、初学の人はその残滓を珍重しすぎるのである。
 禅に大きな影響を与えた『荘子』の思想では、本来は形のないものから形のあるものが生まれ、形あるものがやがて形のないものへ移っていく、という。妻の死を悲しんだあとにも、荘子はその境地に至って安心を取り戻す。元々の形のない状態を「渾沌」、あるいは「無何有の郷(むかうのさと)」などと呼び、『荘子』では何もない状態こそ最も生産的な理想状態とされるのである。
 芸術を鑑賞する矢先にややこしいことを言うようだが、作品を産みだすことは大事でもそれを後生大事に有(も)ってはいけないのだ。
 老子は「生じて有せず」と言い、生産と所有を峻別したが、坂口安吾などは更に『日本文化私観』のなかで「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。(中略)やむべからざる実質がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ」と言い切っている。
 そこまで極端な行為が求められるとは思わないが、何か形あるものを奉ることが、心を不自由に淀ませることは確かである。
 私は道場を去るとき、師匠である平田精耕老師から一枚の短冊を頂戴した。そこには「仏祖乞命」と書かれていた。長年茶の間に掛け、あえて調べることをせずに意味が自然に諒解できる時を待った。十五年後にようやく判ったのは、仏や祖師といえども絶対的な存在として奉るのは禅ではない、ということだ。どんな状況でも絶対的に奉る存在など禅には存在せず、だから本物の禅者には、仏祖といえども時に命乞いをすることになるのである。
 無数の形を産みだす自在で活発な心こそ禅的である。その作品を鑑賞するのは大いに結構だが、できればその刺激で、自らの中の形にならない心を取り戻していただきたい。

2016/10/01 うえの掲載

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