デザインベビーという言葉が使われるようになって久しい。アメリカではノーベル賞受賞者の精子を高く買い、美人でグラマラスな女性の卵と受精させる、というのもあながち冗談ではないらしい。
神への冒涜、あるいは自然への挑戦と言ってもいいこうした試みは、逆の方向でも進みつつある。つまり、「遺伝子診断」による遺伝病の予防である。
二〇一三年五月、アメリカの女優アンジェリーナ・ジョリーさんが健康な乳房を両方とも切除して話題になった。彼女は遺伝子診断を受け、その結果生涯のうちで乳がんを発症する確率が八十七%あると告げられたらしい。同じことを言われたとしても、「発症したらそのとき判断する」人もいるだろう。しかし彼女は罹患の不安ともども乳房を未然に切除すること選んだのである。
ところで日本でも、同じような検査サービスが準備されているらしい。大手の遺伝子検査会社が来年の開始を目指しているようだが、私はこうした動きに大いなる懸念を感じる。すでに胎児の出生前診断は日本でも行なわれ、ダウン症などの可能性が事前にわかるようになりつつあるが、今度のは親同士の遺伝子診断で「将来の子」も予測できるというものだ。結婚前に受ければ、この結婚はやめておこうという判断材料にもなる。しかも単に唾液の採取だけで、およそ千五十種類の病気に罹る可能性を百%、五十%、二十五%、0%と四段階で表示するらしい。要は両親の劣性遺伝子の組み合わせ次第ということだが、本当にそんな形で我々が命を選択していいのだろうか。
どうしても憶いだしてしまうのは、昨年七月に起きた「津久井やまゆり園」での大量殺傷事件である。犯行に及び、刑事責任能力があるとされた植松聖被告は、明らかに「障害者なんていなくなればいい」と心底思っていた。その点については揺るぎない自信さえ感じさせたはずである。事件は多くの人々に衝撃を与えたが、同じ考え方を事前にやさしげに実行する検査は問題ないのだろうか。
所詮、人類の福祉の向上のためではなく、商売のために考えだされたアイテムだから、受けたい人だけ受ければいいという意見もあるだろう。しかし私は、それがあるとないとで社会の在り方が根底から変わるような問題については、企業にも倫理観を求めたい。
「授かりもの」とか「ご縁」という日本人の考え方は今や風前の灯火。経済のために人間がどこまで傲慢になり、どれほど優生思想を進めるつもりなのか、私にはそれが気がかりなのだ。
アメリカでは二〇〇八年、「遺伝子差別禁止法」が成立しているが、この国には何の歯止めもない。世の中の役に立つ「有用さ」や経済効率ばかり優先されれば、やがては障碍者(しょうがいしゃ)だけでなく、老人や子供の居場所もなくなってしまうだろう。
2017/05/28 福島民報