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ネットとキノコ

 裏社会、というと、普通はヤクザやマフィアの世界を想うことだろう。しかしここで私が言いたいのは「ネット社会」のことである。最近はバッシングといえば自ずとネット上のことを想像する。いじめの多くもネットを介して行なわれている。ネット通信はもはや不可欠なものでありながら、巨大な権力も生み、村八分の如き排除の力も示し始めた。すでに裏社会と呼ぶべき厄介な世界なのではないだろうか。
 匿名ではないとしても、ネット社会にはなんとなく秘匿性もあるような気がする。面と向かっては言えないことも、ネット上では言えてしまうのだ。多くは他人への悪口ということになるが、人は暗闇に向かって吐いた言葉がすぐに白日の下に曝される仕組みに、戸惑いながらも慣れるしかないと考えているように思える。肥大化する自らの欲望を感じつつも、それを呟く大統領やフェイク・ニュースを流す組織まで存在する今となっては、ネット自体に抑止力は期待できない。
 また速やかな表出のみを期待するネット社会では、沈思黙考は意味をなさない。二○一四年七月、「グーグルは神に取って代わるのか」というウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)の特集記事が耳目を引いたが、万能とも思えるグーグルなどの検索機能の前では、たしかに神への祈りも虚しい。祈りとは、待つことを前提にした行為だが、ネット社会は待たせない、というより待つことを容認しないのだ。
 このような世の中では、おそらく従来型の宗教は力を失うのだろう。私は一昨年、東京大聖堂でカトリックの神父さんたちへの講演を頼まれたのだが、そこで聞いたのは日曜礼拝の衰退ぶりだった。昔からの老信者以外は集まらず、若者たちは教会に来ないというのだ。むろん、高度成長時代に新宗教と呼ばれた団体なども軒並み信者数を減らし、また伝統仏教寺院も『寺院消滅』(鵜飼秀徳氏)の危機に喘いでいる。要するに、昔は主に地方出身の孤独な若者たちのコミュニケーションの場でもあった教会や寺院などが、ネット社会の登場によって不要になってきたのだろう。
 多くの宗教は、外部からの情報を遮断することで内部に「霊性」を探り当てるものだが、宗教に限らず、各界のヒーローやヒロインもネット社会では育ちにくい。思えばネット以前の昭和のそれは、美空ひばりや石原裕次郎、長島、王など、巨大化した個人だったが、平成になると小粒化してグループになる。たとえばSMAP、嵐、AKB、モーニング娘。など。
 そんななか、一昨年の夏に天皇陛下とSMAPが前後して引退を予告した。そうして並置すると顰蹙を買いそうだが、「アイドル」には宗教的象徴の意味もあるからあながちおかしくはない。特に陛下が正直に「老化による公務への危惧」を認めたことは、震災以後の被災地通いと祈りによって弥増していた霊性、聖性を、大きく減じるものだった。勝手な感想かもしれないが、私にはそう思えたのである。
 その後もアイドルたちの小粒化は止まらず、その代わり「くまモン」などのゆるキャラが無数に生まれた。「キャラ」は、中身が誰であろうと関係なく、特定の物語を演じるものだが、もしかするとそれは、ネット上に跋扈する悪意を補完するための善意の化身だろうか。
 ネット社会といえば、なぜか私はキノコを憶いだす。
 東日本大震災による原発事故以後、各地で多くの食べ物が不安視されたが、とりわけ高い放射線量を保ちつづけたのがキノコと山菜である。根で繋がったタケノコも高いことを思えば、キノコの線量が高いのは八方に張り巡らされた菌糸のせいではないかと思える。竹の根と同様、いや、それ以上に菌糸は大地で無限大のネットワークを築いているのではないか。じつは福島県以外でも、キノコの放射線量を測ると驚くべき結果が出るのではないか。
 鈴木大拙はその著『日本的霊性』のなかで、「霊性の奥の院は、実に大地の座に在る」と述べている。「天日(てんじつ)は死した屍を腐らす、醜きもの穢らわしいものにする。が、大地はそんなものを悉く受け入れて何等の不平も言わぬ。かえってそれらを綺麗なものにして、新しき生命の息を吹きかえらしめる」というのである。
 なるほど、大地は穢れも汚さも破摧し、分解して抱擁してしまう。大拙はそれを母性とも表現し、また大教育者とも書いている。
「大地はまた急がぬ。春の次でなければ夏の来ぬことを知っている。……それで人間は、そこから物に序(じょ)あることを学ぶ、辛抱すべきことを教えられる。大地は、人間にとりて大教育者である、大訓練師である」
 これを読むと、我々はこれまでいかに大地を酷使し、失礼なことをしてきたかを振り返らざるを得ない。昭和四十年代の国土改造をはじめ、地面は広くコンクリートやアスファルトに覆われ、窒息寸前である。長大な防潮堤や「除染」なども、むしろ大地を信じないがゆえの処方ではないか。空中を飛び交うネットが繁栄する一方で、大地の連携は常にないがしろにされ、寸断されてきた。
「キノコたちよ、立ち上がれ」。巨大なキノコキャラを被った私が必死に叫ぶ。もはや、ネット社会に対抗できるのは大地、いや菌糸のネットだけだと、思い詰める私の最近の夢である。

2018/11/25 日本経済新聞

タグ: 仏教, 原発, 東日本大震災, 鈴木大拙