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へその復興

 子供の頃から、へそはなんとなく大事なものと思ってきた。なにより母親の胎盤とつながり、血管を通して栄養をもらっていた名残だし、腹膜に直接つながってもいる。しかしそんな理屈を知る以前から「雷さまに取られるぞ」などと脅され、取られるとどう困るのかも知らぬまま、「そりゃあ困る」と隠していたように思う。
 へそは有胎盤のあらゆる哺乳類にあるらしいが、人間ほどそれが目立つ動物もいない。しかもへその下には筋肉や皮下脂肪がないため、大抵は周りの腹部より窪んでいる。そしてよく見ると、なんだか暢気そうなのだ。どうやらへそは、体で唯一汗をかかない器官らしいが、そんなことも見た目の暢気さに関係しているのだろうか。
 その暢気そうなへそが、「ほぞを固める」とか「へそを曲げる」ことになるわけだから、それは余程の事態と思わなくてはならない。「ほぞを噛む」に至っては、相当柔軟でもできない芸当だが、それだけに噛もうとしても噛めない万人の悔しさが滲むではないか。
 へそをじっと見つめていると、なぜか内部を覗きたくなるのも人情である。特に子供にとってのへそは、最も身近な神秘ではなかっただろうか。おずおずと指で押し広げていくと、いわゆる「へそのゴマ」と呼ばれるものが見えてくる。思わず取りたくなるのだが、それを取るとお腹が痛くなるという俗信もかなり流布していた。その頃のへそはまだ、アンタッチャブルな聖域だったのである。
 だから一九七四年、私が十八歳の頃に登場した山本リンダのあの曲は衝撃的だった。へそを出した大胆な服装で「どうにもとまらない」と歌うのである。「うらら、うらら」は雷さまも母親も蹴散らす聖域破りの号令だったと言えよう。
 時は流れ、「ゴマ」は単なる汚れとされ、オリーブオイルを沁み込ませた綿棒などでクリーニングされるようになった。むろんへそ出しファッションなど驚くにも値せず、今や若い女性のさまざまなへそだってネットで見ることができる。
 しかし、しかしである。たとえファッション業界や世間はそうだとしても、医学界はそう簡単には追随しなかった。生命の源という認識なのかへそへの畏敬は根強く、手術の際にも何かを畏れるようにへそを迂回して切った。帝王切開もそうらしいが、二十年ほど前に胃の手術をした人の腹を見たことがある。へそを避けた非合理なラインは、なにやら宗教的な印象さえ受けたものだ。
 ところが更に時代は移り、あるお医者さんによれば「十年ほど前からへその扱いは大きく変わりました」と言う。
 開腹して臓器の一部などを摘出する場合、遠慮なくへそを切るようになったというのだ。「初めは抵抗がありましたが、もう何も感じなくなりましたよ」。そう話したのは六十代と五十代のベテラン外科医である。彼らによれば、へそは内側に折りたたまれたような構造であるため、「小さく切って大きく使える」便利な器官らしい。つまりへそ抜きで切ればもっと大きくなるはずの傷跡が、へそを含めて切ると最小で済むというのだ。
 ここまで来るには幾つものドラマがあったに違いない。最初にへそを切った医師は、間違って切ったのか、それとも確信犯なのか。あるいはその医師を非難する勢力や説得されて従う勢力との、壮絶な戦い……、そんなこともないか……。
 こんな話を書いたのは、じつは最近腹腔鏡による手術を受け、私自身へそを一刀両断にされたからである。じっと我が腹を見下ろすと、四カ所の小さな穴のほかにへそを縦一文字に切った五センチほどの傷がある。手術から二週間が経ち、今はその傷だけが痛いので、おのずと関心がへそ周辺に集中してしまったのである。
 無礼者! 思わずそう叫びたいほど、無慙なへそを初めて見たときは驚いた。事前に聞かされてはいたが、まさかここまで躊躇なく、潔く真っ二つにされるとは思っていなかった。医療用ボンドに塗れたへそは、もはや矜恃も平常心もなくしてしまったように見えた。
 山東京伝は『笑話於臍茶(おかしばなしおへそのちゃ)』という黄表紙で「臍の翁(へそのおきな)」を登場させ、優遇されやすい上半身に抗議して下半身が反乱を起こす物語を書いた。最後は臍の翁が下半身を諭し、まるく収めるのだが、今回の私の場合、臍の翁自身が不慮の災害で怪我をしたような状況である。
 荒涼たる被災地に、臍の翁が呆然と佇んでいる。リハビリのしようもなく、笑うのも響くから我慢している。上半身と下半身には勝手な動きをしないよう充分に諭したが、いつ腹筋が引かれるか不安は残る。しかしそれでも、へそは暢気そうに見えるからさすが翁、復旧は無理でも、遠からずひとまわり大きくなって復興されるはずである。

 抒情文芸 2021年夏号(179号)

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