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猫神さまとグロムイコ

 昔、大学生の頃に住んでいた六畳一間のアパートに、ときおり現れるネコがいた。二階の部屋の西側の窓に現れるので、屋根伝いに渡ってくる通路があるのだろう。特に調べたこともなかったが、窓が開いていればそこからするりと半身を滑らせて室内を睥睨(へいげい)し、閉じていれば磨りガラスに姿を映してから一声鳴いた。現れると世界が「今」に立ち返るようで、通路のことなど殆んど考えなかった。
 睥睨という表現に違和感をもった方もいるかもしれない。しかし真っ黒な躯(からだ)と翡翠色の眼、そして微塵も警戒心を感じさせずに部屋を見回す様子はまさに睥睨と呼ぶに相応しかった。そして私はその雄ネコをグロムイコと名付け、転居までの二年ほどつきあっていたのである。
 私が食べる食べ物は、むろんグロムイコがいれば彼にも分け与えた。しかしその頻度は、とても「飼う」と言えるレベルではなかったし、彼がいない時にわざわざ用意することもなかった。彼のほうも貪るふうはなく、すでに食べているけれど「つきあおうか」みたいな余裕のある風情で、むしろ私の個食につきあってくれるようでもあった。
 おそらくグロムイコは、近所のあちこちにそのような家を確保していたのではないだろうか。そしてまるで天皇陛下の行幸の如く、周期的に各家を慰問して廻っていたのではないか。貪欲さを見せないグロムイコの風貌に、私はやがてそんなことを想い、ある種の敬意をもって彼を迎えるようになっていったのである。
 彼とつきあった二年の間には、じつに大勢の友人たちが私の部屋にやってきた。そこにグロムイコがいることもあったし、いないときもあり、時には友人がいる場面にグロムイコが訪ねてくることもあった。そんなときグロムイコは、ふいっといなくなることもあるのだが、客人次第ではそのまま居続けることもあった。どんな法則で去就を決めるのか、私は考え込んだが、結局のところはわからない。彼の都合としか言いようがなく、ただ、必ずしも嫌な奴と感じていなくなるわけでもなさそうだ……。なんとなくそう感じていた。
 しかしそんなことを考えだしたこと自体、私がグロムイコの判断を当てにしはじめたということだろう。いつしかグロムイコがいるかぎりは友人にも帰らないよう引き留め、逆にグロムイコがいなくなってしまうと、体のいい言い訳を考えて早めに帰すようになっていった。
 あるとき男女一人ずつの友人と、ギターとリコーダー、カスタネットで遊んでいたらグロムイコがやってきた。しばらく窓近くで坐っていたグロムイコに、三人はいつしか最大限喜んでもらえるよう曲調を変化させていた気がする。本当に気に入ったかどうかは知らないが、結局グロムイコは最後まで正坐で聞き入り、その退場をもって即興セッションは終わった。まるでグロムイコへの奉納演奏だ。
 だいぶつきあいも深まってから、私は近所の露地でばったりグロムイコに出逢ったことがある。おそらくどこか別な家へ向かう途中だったのだろう。別な家では別な名前があるだろうと思い、私は立ち止まったまま無言でその動きを見つめた。彼のほうも私に気づき、立ち止まったときの距離はおよそ3メートル。このときのグロムイコの態度が今も忘れられない。数秒私のほうを見つめ、目線を外して頭全体をゆっくり下げ、また私を一瞥(いちべつ)してからいつものゆったりした速度で歩きだした。これが私には軽い会釈のように見えた。しかも神さまが慈しみ深く人間を見つめるように思えたのである。スタスタと、その後は振り返らずに露地の奥に消えたのは言うまでもない。
 ネコに神さまを感じたのはおそらく古代エジプト人が最初だろう。彼らはあまりに完成した運動体としてのネコに感動し、宇宙から飛来したとも思い、王宮にはネコのための立派な椅子まで設置した。また幸か不幸か、ファラオの遺体の近くには夥(おびただ)しいネコのミイラも見つかっている。彼らに殉死してもらうことで、豊かな死後世界を願ったのではないだろうか。
 近ごろ私は、日本にも神として祀られたネコたちがいると聞き、宮城県丸森町を訪れた。町中に石に彫られた猫神さまがたくさんあると聞いたのである。なるほど町のあちこちに、ネコの形が浮き彫りにされた石碑や石像、文字が彫られた石などが多数見られた。
 しかしなにゆえ神として祀られたのかと訊けば、養蚕の盛んな土地ゆえ、蚕を好んで食べるネズミを追い払うから、というじつに現実的な理由である。
 あらためてグロムイコを憶(おも)いだすと、ネコにはもっと別な神性があるような気がする。転居するとき西側の窓の外を確かめたが、そこには間近に棕櫚(しゅろ)の木が一本あるばかり。簡単に渡れそうな屋根も窓枠も見当たらないのだった。

2022/03/12 月刊ねこ新聞 2022年3月号

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