誰もが世界の平和について考える昨今だが、こんな時こそ日本人が作りだした秀逸なシンボルをご紹介したい。七福神である。
七福神とは、インドから大黒さま、弁天さま、毘沙門さまを招き、中国からは寿老人、福禄寿、布袋和尚が加わる。そして日本代表を務めるのが恵比寿さまである。
よくよくこの七人を観察しても、全員に共通する特徴は見出せない。寿老人と福禄寿に多少ダブりは感じるものの、彼らはいわば「七癖」の代表であり、何につけても統一見解など持てそうにない。今ふうに言えば個性派揃(ぞろ)いで、出身も三国にわたるから国益も一致しない。彼らの和合を追求した結果が七福神なのだが、なにゆえ彼らは同じ宝船に乗り、そして宝船はいったいどこに向かっているのだろう。
じつはこのシンボル、室町末期から江戸時代初期にかけて、秦(はた)氏が依頼して臨済宗の和尚が考えたと言われる。当時の日本(本朝)にとって世界とは天竺と志那で事足りた。そして世界が平和に繁栄するためには、自分との「違いを笑う」精神こそが重要だと考えたらしい。七福神という「神」の集合体に、布袋和尚という実在した中国唐代の禅僧を紛れ込ませたのはそのためである。
布袋和尚は「哄笑仏(こうしょうぶつ)」とも呼ばれ、自分と違う発想や行動に出逢うと「ガッハッハ、あんた、オモロいなぁ」と哄笑したらしい。七福神の作者は、それこそが世界平和の礎(いしずえ)だと考えたのである。
また日本代表の恵比寿さまにも特別な思いが込められている。恵比寿は元「蛭子(ひるこ)」と言い、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の第一子として産まれたものの、おそらく未熟児であったために海に流された。捨てられた海を怨(うら)むこともなく、その守り神として「蛭子(えびす)→恵比寿」と呼び変えられた気高い存在だが、その出自ゆえにスタンダードにはなれない。弱点を抱え、スタンダードを押しつけない存在が中心にいることで、和合も強まると考えたのだろう。
最近の世界情勢を眺めていると、人間の進歩には限界があることを痛感する。一つは自分の経験を(唯一の)事実と思い込むこと。もう一つは、自分こそが正しいと思うのは仕方ないにしても、それを他者にも力で強制しようとすることだろう。「我思う、ゆえに我正しい」となり、平和とは今や勢力均衡のことだと認識されつつある。
民主主義は万能なシステムではない。自分の意見をはっきり言えるのは良いことだが、同時にそれは敵と味方をつくる装置でもある。他人は自分と考え方が違って当然なのだし、それを承知で「違いを笑う」人間力が求められる。七人の乗った宝船は宝島に向かうわけではなく、ああして来歴も性癖も欲求も異なる七人が、和やかに同じ船に同乗していることじたいが宝なのである。
2022/07/17 福島民報