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日曜論壇 第106回

国葬儀?

 何年か前から都市部の一部の葬儀社が「火葬儀」というパッケージを売り出した。会社によっては「火葬式」と呼ぶところもある。何のことはない、これまで「直葬」と呼び、お通夜も葬儀も行なわずに火葬するだけのやり方を、尤(もっと)もらしく呼び変えたのである。
 ネットで調べると、「僧侶手配」はオプションとある。火葬場だけでの儀式を頼まれた僧侶は、いったいどんな儀式をするのだろう。「一日葬」もそうだが、葬儀社が勝手に考えたメニューに、我々僧侶は翻弄(ほんろう)されどおしである。
 試しに葬儀社に電話し、家族が亡くなって火葬儀にしたいのだが、と相談してみると、「菩提寺(ぼだいじ)があっても、ややこしくなるので連絡しないでください」と言われた。つまりオプションで手配するのは、その会社に登録しているどこかの僧侶らしいのである。
 それから何日か経って、女性の声で電話があった。「檀家さん以外の葬儀などをお引き受けいただくことは可能でしょうか」。ははぁ、登録僧侶をこうして募っているのだと合点し、「無理です」と答えた。
 むろん良心的な仕事をしている葬儀社も多いわけだが、一部の業者がシロアリのように葬儀そのものの基盤を食いつぶし、しかも大手になりつつあるのが悲しい。
 そういえば最近になって、岸田総理や政府は安倍元総理の葬儀を「国葬」ではなく「国葬儀」と言い始めた。そんな言葉が正式なものとしてあるのかどうか知らないが、私が「火葬儀」を憶いだしたのは言うまでもない。要するに胡散(うさん)臭い言い換えに思えたのである。
 総理の説明を聞くと、どうも国主宰の儀式ながら、国民に弔意を求めるものではなく、27日の葬儀の時間も国民に黙祷(もくとう)を望んだりはしないらしい。いったい何のための「国葬儀」なのか、経費の出所だけのことなのかと、あらためて考えてしまう。
 岸田総理もきっと、勇み足を悔やんではいるのだろう。しかしそんな思いはおくびにも出さず、何を訊(き)かれても同じ言葉を繰り返して突き進む。そこには安倍氏から菅氏、岸田氏へと受け継がれた伝統のようなものさえ感じる。国会に諮らず閣議決定を最大限に利用するのは最近の総理のトレンドなのである。
 ところで岸田総理は、国が宗教法人として認可し続ける団体と、今後は一切関係を断つよう自民党議員に命じた。これは「信教の自由」に抵触しないだろうか。しかも選挙などで協力いただいた人々に後足で砂をかければ、怨(うら)みを抱く信者などがいないとは限らない。
 外国の要人も含め、国葬儀で第二の安倍氏を出さないためには、発表した警備費を大きく上まわっても厳重すぎるほどの警護が必須だろう。ああ、袋小路の岸田総理。自業自得とはいえ、同情申し上げるばかりである。

2022/09/16 福島民報

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タグ: 政治, 日曜論壇