ロシア正教トップのキリル総主教は十月末に行なった説教のなかで、プーチン大統領を「主席エクソシスト(払魔師)」と称し、「反キリストを掲げる者に立ち向かう闘士」だと讃えた。
「エクソシスト」といえば昔見た悪魔払いのオカルト映画。その恐ろしさはいまだにリアルに甦る。少女に悪魔が憑依(ひょうい)し、その悪魔と神父との戦いを描くのだが、悪魔を痛めつければ少女も傷つく。それが見ていられないほど辛かったのを憶(おも)いだす。
それにしても、「主席エクソシスト」ということは、他にも大勢のエクソシストがいるということか……。
いずれにせよ「プーチンの戦争」の大義名分は、ウクライナの「非ナチ化」から、西側諸国も含めた「サタニズム(悪魔崇拝主義)」撲滅に変わったようだ。実際プーチンも、九月にウクライナの四州を「茶番」と呼ばれた住民投票で併合した際、「西側諸国は純然たるサタニズムを推し進めている」と非難した。もはや敵は、ウクライナを支援するすべての国々なのである。
国家とあまりに癒着したロシア正教の現況は、どうしても第二次大戦中の日本を彷彿(ほうふつ)とさせる。連合国を悪魔ならぬ「鬼畜」と呼び、特攻ならずとも名誉の戦死ならば神になるのだと鼓吹した。国家神道という戦時用の宗教が、明治以後特別に誂(あつら)えられたのである。
九月二十二日、モスクワの修道院でのキリル総主教の説教を聞いてみよう。プーチンが予備役三十万人の動員を決めた直後である。
「ロシア人は死を怖(おそ)れてはならない。勇敢に軍での使命を果たしなさい。国のために命を捧(ささ)げる者は、神の国と栄光と永遠の命の中で、神と共にあることを覚えておきなさい」(ヤフーニュースより)
多くの日本の宗教者たちも、出征する兵士たちに似たようなことを語りはしなかっただろうか。宗教はアヘンだとマルクスは言ったが、確かにこうなると、そんな言葉も肯(うべな)える。
一方で日本の政治家たちは、選挙協力してくれる宗教団体との癒着とも云(い)える関係をとことん深めてきた。政治家たちに毅然(きぜん)とした態度を望むのは勿論(もちろん)だが、私がここで申し上げたいのはむしろ宗教者側の態度である。
道元禅師は権力からあえて離れ、福井県の山中に永平寺を創建した。また幻住派(げんじゅうは)など林下(りんか)の禅僧たちも、山中の道場に隠棲(いんせい)した。思えば法然上人や親鸞聖人、日蓮聖人なども、権力に逆らって信念を通し、島流しの憂き目を見たではないか。
金と票に群がって癒着した日本のケースはあまりに情けないが、ロシアでの政教癒着はじつに恐ろしい。特別軍事作戦は「聖戦」になり、また大量の若者たちが無駄に死んでゆく。人類は進歩などしていないのだ。
2022/11/20 福島民報