ご本人も仰(おっしゃ)るように、この本は大いなる「冒険譚(ぼうけんたん)」である。読み始めたらそう簡単にはやめられない。私の場合は途中お葬式が二件あったので中断したが、ヘタをすると親の死に目に会えない可能性もある。危険な本と言うべきだろう。
東日本大震災の原発事故で、我々はさまざまなことを考え、省み、誰もが節電を試みた。震災直後の東京駅の照明はベルリン中央駅程度の暗さになり、じつに知的に感じたものだった。しかし今やパチンコ屋なみの明るさを復活させ、元の木阿弥。また使用電力の減量を期待されたLEDも、結局はイルミネーションを増やし、電力使用量はむしろ増えた。そう、使用電力総量がGDPを牽引するという恐ろしい思い込みじたいがゾンビのように甦(よみがえ)り、それゆえ当然ながら原発再稼働の流れも強まっている。まさに「喉元過ぎれば……」という諺どおりなのである。
ところが稲垣さんは、まるで「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」が如(ごと)く、節電街道を走りつづけた。その姿はアフロヘアながら、まるで修行僧だ。
電気代半減を目指し、5階の部屋までエレベーターを使わず、ドアを開けても電灯は点けず、じっと暗い玄関に佇む稲垣さん……。暗闇に目が慣れるのを待つというその姿に、私は何を隠そう自分の修行時代を憶(おも)いだした。夜坐に出てしばらくすると、確かに遠くの道端の街灯や月の光であらゆるものが見えるようになる。『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎著)の世界である。
電気を点けないまま着替えもトイレも済ませ、むしろ暗い方が落ち着くと嘯(うそぶ)くアフロの修行者に、私は目を瞠(みは)った。
その後も彼女は「行雲流水(こううんりゅうすい)」の如く、歩みを止めなかった。エレベーターばかりかエスカレーターにも乗らず、体力もつけ、ついにこれまで奉ってきたはずの家電製品を捨てはじめたのである。
まずは掃除機。箒と塵とり、そして雑巾があれば事足りるのは、修行僧として当然の心得。「床がピカピカになると心もピカピカになる……なーんてお坊さんみたいなことを考えてみたり」と彼女は冗談めかすが、やはりその自覚があるのだ。掃除機を手放したことで、自分の中の思わぬ資源を発見したと仰るのも、「知足」の境地だろう。
彼女の冒険は掃除機から今度は電子レンジに向かう。そしてついにそれも捨てた彼女は「自分の中に、まだまだ眠っていた力があった」と感激し、「工夫」に目覚める。現代中国語の「工夫」は「時間」の意味。つまり彼女はここで時間を取り返したのである。
勢い込んだ稲垣さんの足はついに冷暖房へと向かう。思えば夏の日中の消費電力は58%がエアコン。避けては通れない関所だ。禅では「寒時には闍梨(じぇり)を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺せよ」(寒い熱いと思う私を殺してしまえ)と手荒なことを言うが、彼女は道場にはない利器も用いながらスムーズにエアコンを捨てる。冬は湯たんぽ、夏は近所のカフェなどを利用するのである。とはいえ、その感覚の変化は本物と言えるだろう。京都建仁寺での体験談も鮮烈だが、彼女はすでに冷暖房をやめ、寒さ暑さのなかにも無限の色を見出し、わずかな変化を探す習慣がついたと仰る。そう、寒さ暑さと括って表現することこそ寒暑の元凶。彼女は難なくエアコンを捨て、「瞬間の涼しさ」を見つけて小さな喜びを感じている。そして「これは何かの悟りなのであろうか」と宣(のたま)うのだが、これには何と答えるべきか。真冬にエアコンを使っている身では気が引けるが、道元禅師の「冬雪冴えて冷(すず)しかりけり」の境地も近いと申し上げておこう。
しかし問題はこの先である。関所は越えたもののこの先には冷蔵庫という岩盤が待ち受ける。普通に考えれば、岩盤をはずすなど思いも寄らない愚挙ではないか。
ところが彼女は間違って入居した「オール電化住宅」でメラメラと予想外の闘志を燃やす。テレビはすぐ消せたし洗濯機も手洗いに戻せたが、冷蔵庫となると事は簡単ではない。冷凍庫を含めた冷蔵庫こそ、彼女の好きな料理をこれまで支えてきたと思えたからだ。
しかし彼女はそのときなぜかブッダの声を聞いた。「今、ここを生きよ」。じつに禅的な仰せである。メラメラの火はその言葉に燃え移り、彼女はこれまでさんざんお世話になってきた冷蔵庫を懐疑の目で見始めるのだ。
ブッダの仰せに従い、彼女はいつか食べるはずの夢の食材庫、冷蔵庫を捨てる決心をする。これは全体のなかでも劇的な場面だが、彼女はそれによって「いつか」という「夢」を捨てたのである。
余った野菜はベランダのザルで干すか漬物にする。その日に食べるもの以外は買えないとなれば、自ずと五百円以上買い物をすることはなくなった。ちっぽけな今を自覚した彼女は、ちっぽけで何が悪いと嘶(いなな)くのだが、それだけでなく、手許の人参と厚揚げを味わい尽くせ! そこにある宇宙をとことん楽しめ! と豪語した挙げ句、「もしかして悟りとは、そういうことだったんじゃないのか?」とまた呟(つぶや)く。これには私もさすがに一言申し上げておきたい。ブッダの「今ここ」は食べるもの全てを托鉢による頂き物に委ねることを前提にしている。乞食(こつじき)という究極の「その日暮らし」にはまだ遠いはず。
ただ冷蔵庫を捨てた稲垣さんの諦念は深い。バンバン溜め込んでバンバン腐らせ、バンバン捨ててこそ冷蔵庫の真価と喝破する彼女は、冷蔵庫の中にあるものは食べ物ではなく、もはや自分でもコントロールできなくなった「ぼんやりとした欲望」だと言う。「ぼんやりとした欲望」とはいかにも自覚がなさそうで不気味だが、これが今の食品業界をも支えているのだ。彼女はそれをきっぱり捨て、江戸時代の如き日本の食の基本に立ち返っていく。即ち、ご飯、味噌汁、漬物と、煮物一品である。修行道場も朝はお粥に梅干し、昼と夕は一汁一菜であることを思えば正統な着地点と言えよう。
ただ正直に申し上げれば、修行道場にも今は冷蔵庫がある。大量に採れる畑の野菜を、湯がいて冷凍保存するのが主な用途である。これについては、稲垣沙門の如何(いか)なる批判もお受けする所存だが、彼女はそんなことはお構いなしに先へと進んでいく。
いや、この辺りから彼女は、自らの父親が家電メーカーのサラリーマンであったことを告白し、家電に翻弄されてきた母親の最近の状況まで活写していく。これがこの本に底知れぬ深みを与えたのは間違いない。レシピ本を枕元に散乱させて眠る母……、それは稲垣さんを「家電」や「便利さ」の更なる極北へと運び去るのだ。
奥へ奥へと進みつづけ、とうとう彼女が辿り着いたのは、一種の桃源郷と言えるだろう。オール電化住宅に住みつつ節電に励む彼女は、ついに一年にわたる戦いの挙げ句、電気温水器のブレーカーを永遠に落とす。これぞまさに「寂滅為楽(じゃくめついらく)」。「寂しい生活」と言いながら、彼女はきっと仏教の「寂」の境地を意識しているはずだ。煩悩の炎の消えた平安な境地である。節電のために家で風呂に入ることを諦め、銭湯に行くことにした彼女は、すでに冷蔵庫も捨てていたから、これによって要塞化した家を出て街に溶け込むことになった。これを「出家」と呼ばずして何と呼ぼう。
とうとう本格的な出家者となった彼女は、もはや私にとって気になる同朋である。「電化で築く家庭の幸福」を淡々と蹴散らし、「原子力 明るい未来のエネルギー」にも揺るぎない志を示した伝説の沙門と言っていいだろう。いやむしろ、美しい空中庭園に住まい、無所有の「清貧生活」を送る彼女こそ、同朋どころか我等が先達なのではないか。
正直に告白すれば、「清貧」と書くべく「SEIHIN」と打つと、私のパソコンはまず「製品」と変換した。最早これまで。今後は沙門稲垣を師と仰ぎ、私も果てなき仏道を歩みつづけるしかあるまい。
オール電化住宅の一室に祀られた巨大な電気温水器、いわばご本尊に向き合い、ついにそのブレーカーを落としたときから、じつはうすうす感じてはいたのだ。これぞまさに「仏に逢うては仏を殺し」(『臨済録』)の境地ではないか、と。私はいま新たな師を得た喜びのうちにある。
ついでに申し上げておくと、私にはこの道でじつはもう一人気になる人がいる。それは客人を迎えて足を洗うために供した金盥(かなだらい)で、その後の夕食にうどんを振る舞った大愚良寛である。
沙門稲垣が今後そういう隘路(あいろ)に進むのかどうか、また進むべきなのかどうかも、今の私には到底わからない。私は雨上がりの裏山で筍掘りをしながら、ただときおり清風を感じるばかりなのである。
2024/07/11 『寂しい生活』稲垣えみ子 解説