各界の有識者32名が選んだ時代を象徴する3つの言葉
「正義」「効率」「遊ばない」
私は今年、『やおよろず的』という本を出したが、世界はそんなことにお構いなく、正義を振りかざす人々に満ちている。正義を認めないから「やおよろず」になるのだが、アメリカの正義とイスラム圏の正義は、今後も頂点をめざして果てしなくぶつかり続けるだろう。
一方、政府が振りかざす正義の内容は、完全に経済効率。それにより、市町村合弁や郵政民営化が進められている。小は大に吸収され、八百万は一気にその数を減らしつつある。どうもそれを、彼らは構造改革と呼ぶらしい。
福祉や幼児教育ばかりでなく、最近では文化施設にまで同じ理屈が浸透しようとしている。弱者は強者に吸収される。それは本来、幼児教育にも福祉にも文化にもそぐわない考え方であったはずだ。福祉も教育も文化も、およそ効率を考えたらやってられない作業だろう。
効率よく、コメは一気に火傷させながら電気乾燥させる。同じように、ヒトも効率よく作ろうとするからだろう。コメが美味しくなくなった以上に、子供たちにこれまでになかった病態が目立ちはじめた。アスペルガー症候群やさまざまな人格障害……。親に時間をかけて毒を盛る子供の行為は、効率のいい教育から抜け落ちた何を象徴しているのか……。
不都合な自然を認めたくない効率重視の人々は、昔とは違った意味でヒト作りをしている。ES細胞や体性幹細胞の利用研究が、イギリスに芽生えてアメリカに育ち、ドイツで狂い咲きした優生学に繋がらないと、どうして云えるのか。
帰りなん、いざ。そう謳ったのは陶淵明だが、我々も効率や浅はかな正義を離れ、もうそろそろ田園に帰ってはどうか。田園に帰るとは、体を使って遊ぶことだ。今や、お寺の境内で遊ぶ子供もいない。遊ばない人々は、怖い。それともイラクへの手出しは、正義ゲームという新手の遊びなのか。そうだとしたら、もっと怖い。
2005/12/10 文藝春秋