三春町には、いったい桜が何本あるのだろう。
一億円のふるさと創生資金のうち、八千万が桜の植栽に使われた。その時点で本数は吉野を超え、日本一になったのだとも聞いた。むろんそれ以前から紅枝垂れは数多く、四百数十年まえの殿様が町作りの意識からあちこちの館や寺社に植えたと伝えられる。そのアイディアの中心には平安時代から生き続ける滝桜があった。すでに南北朝時代に「御春(みはる)」と書かれた文献があるのだから、昔から春はよほど美しかったのだろう。
本数を競っても仕方ないが、桜を愛でる人が多いとその数が増えていくのは自然なことだ。普通は庭に桜を植えるなんて、どこの植木屋さんも阿呆だと言って勧めないが、三春にはその阿呆が多いのである。
植える阿呆がいるということは、その苗木を作る阿呆もいるということだ。以前は柳沼ハナさんというお婆ちゃんや宗像宗光さんというおじいちゃんが苗木作りに励んでいたが、その後は宗像節子さん、村田春治さん等が精魂を傾けている。
苗木作りといっても、紅枝垂れの場合は種を拾ってそれが芽を出し、生長してきたものが全て枝垂れるわけではない。枝垂れるというのは、突然変異だからである。
三春の場合は原木がエドヒガン桜だが、枝垂れた桜の種を蒔いても枝垂れるのは十本に二、三本らしい。もっとも、これも三春以外だと百本に二、三本しか枝垂れないのが普通で、三春の枝垂れ桜は突然変異率が高いのだと聞いたことがある。
つまり、三春では桜にも変わり者が多いのだ。
桜の木にとって、どうしてわざわざ枝垂れる必要などあるだろう。もしかすると、彼らは桜の常道を外れつつ、もっと近くで見せておくれよ、という人間のワガママに応えようとしているのではないか……。
考えてみれば、桜を育て守っている人にもそうした突然変異的な、頑固なお人好しが多い。要するに、突然変異的頑固なお人好しが、突然変異的頑固なお人好し桜を作りつづけているのである。
この冬、村田春治さんは、うちのお寺の紅枝垂れを心配し、自分の山で育てた檜を十本ほど伐り、それと竹を組み合わせて根囲いを作ってくれた。どうしても土手にある桜の根は時とともに露出しやすくなる。その露出した根が憩える仮の地面を、墓地の枯葉など集め、土も加えつつ、檜と竹の囲いをベースに作ろうというのだ。
しかし春治さんは、その際一気に根を埋めてしまっては根が驚くからいけないと言う。どうも突然変異的なお人好しの考えることは理解しにくいが、きっと桜と春治さんの気持ちは、突然変異どうしで通じているのだろう。
おそらく三春の桜は、こうした突然変異的な変わり者によって千年以上守られてきたのである。
2007/03/07 ミセス