書籍情報
内容
震災をはさんでの、この10年玄侑宗久の心の「ゆらぎ」
「今」にゆらぎながら、常に重心を取り直す禅の智慧
流動し続ける現実に、文学は、宗教は、どう向き合うのか。
福島県三春町在住の僧侶・作家による、10年以上にわたる「風流」=「ゆらぎ」の軌跡と禅のエッセンス。
2001年以降に発表されたエッセイの中から、「福島」「文学」「禅」をテーマに精選。
本文から
タイトルの「風流ここに至れり」は、芭蕉翁が『奥の細道』の最上川あたりで書き付けた言葉から戴いた。(……)東日本大震災以後、私のなかでこの「風流」という言葉がとりわけ大きな意味をもつようになった。様々な予期せぬ事態に直面し、やはり予断を強めるのではなく、常に「今」にゆらぎながら重心を取り直すしかないのだと、あらためて感じる日々なのである。
もくじ
- Ⅰ 三春の桜
- 三春の桜 / 桜が枝垂れたワケ / みんなの花 / 真の花 / 有情の春 / 梅的、桃的、桜的
- Ⅱ 有縁無縁
- 上野のカツオ、小名浜のカツオ / 放射能の森で見つけた鳥たち / 有縁無縁 / あの人と共に生きる / みちのくの底力 / 福島の再生なくして、何が「日本再生」か / 金輪際 / この辺りの幽霊の問題
- Ⅲ 福島で読む
- 死して生まれよ / 透明な軌道の、その先 / 仕事をしたり笑ったり / 火山列島の平和 / フクシマで読む『方丈記』 / 「風流」の境地へ
- Ⅳ 文学の自由
- 宗教と政治 / 若き葛藤を包み込む息づかい―ヘルマン・ヘッセ『知と愛』 / 守られた時間と、天恵 / 再び泣くかもしれない赤鬼 / 海という暗黒 / 「みずうみ」という魔界 / 運命の休刊 / 処女作は永遠? / 非常識の熟成について / 念ずる力―野口英世の母・シカの手紙 / お経と小説 / 中陰ガム / 死がまとう生の衣装 / 自由と、不自由 / ひとりでに
- Ⅴ 片手の音
- 傾聴する僧侶 / 余白の美 / 片手の音―『禅的生活』余滴 / 白隠―厳粛かつポップな禅僧 / 禅師、かくの如く自愛せり / 精進料理、あるいはコンニャクの修行のこと / 無「思考」な時間が最良の判断を導く
- Ⅵ 幽玄に向かう時
- 幽玄に向かうとき / 仏教自由が物理宇宙を包み込む / 「生きる」ことと記憶 / 「自然」への祈り
紙書籍
関連リンク
- 余白の美 エッセイ 2014年9月8日
- 傾聴する僧侶 エッセイ 2014年5月26日
- ひとりでに エッセイ 2014年4月23日
- この辺りの幽霊の問題 エッセイ 2014年2月28日
- 白隠 厳粛かつポップな禅僧 エッセイ 2012年11月12日
- 仕事をしたり笑ったり エッセイ 2012年9月30日
- 守られた時間と、天恵 エッセイ 2012年8月1日
- 死して生まれよ ~無常と「もののあはれ」~ エッセイ 2012年3月3日
- 死がまとう生の衣装 特集「この国で死ぬということ」 スペシャルエッセイ「死を想う」 エッセイ 2011年11月27日
- 上野のカツオ、小名浜のカツオ エッセイ 2011年8月1日
- 運命の休刊 エッセイ 2010年12月15日
- 海という暗黒 エッセイ 2009年7月25日
- 精進料理、あるいはコンニャクの修行のこと エッセイ 2009年4月6日
- 桜が枝垂れたワケ エッセイ 2009年3月31日
- 「生きる」ことと記憶 エッセイ 2007年5月28日
- 三春の桜 エッセイ 2007年3月7日
- 「知と愛」~若き葛藤を包み込む息づかい~ エッセイ 2007年2月15日
- 再び泣くかもしれない赤鬼 こどもの図書館 巻頭エッセイ エッセイ 2006年5月10日
- 幽玄に向かうとき エッセイ 2005年9月21日
- 有情の春 エッセイ 2005年4月26日
- 仏教宇宙 VS 物理宇宙 仏教宇宙が物理宇宙を包み込む エッセイ 2005年3月31日
- みんなの花 エッセイ 2005年2月24日
- 「みずうみ」という魔界 この一作だけの感動 エッセイ 2004年6月30日
- 透明な軌道の、その先 エッセイ 2004年5月1日
- 念ずる力―野口英世の母・シカの手紙 エッセイ 2004年3月31日
- 非常識の熟成について エッセイ 2004年1月31日
- 真の花 エッセイ 2003年3月3日
- お経と小説 エッセイ 2002年1月31日
- 中陰ガム エッセイ 2001年10月31日