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短期集中連載 放射能と暮らす2

この秋の、切なる願い


 空は高くなり、水も澄んで、佳い季節になってきた。
 お寺には、例年のように、美味しそうな秋の味覚が届けられる。二本松で大々的に栗を生産している檀家のIさんは、今年も網袋入りの大粒の丹波栗を持ってきてくださり、「12ベクレルですから、大丈夫です」と言ってさっき置いていってくれた。
 昨日は町内在住で、毎年門松を作ってくださるWさんが、私の留守中にヒラタケらしいキノコを箱一つ分、置いていったようだ。
 また数日前には、檀家さんで銀杏を栽培しているKさんが、どうか今年も注文してくれるようにと、手書きの注文票を置いていった。
 Kさんが「放射能は大丈夫だから」と言うので、早速福島県が発表している「農林水産物に係る緊急時モニタリング検査結果について」というサイトから「農林水産物モニタリング情報」を覗いてみると、三春の銀杏はセシウム134が34ベクレル、セシウム137が38ベクレルであることが判った。
じつに悩ましい。またこの三人の在り方も、三者三様である。
 栗のIさんは、12ベクレルなのだし、問題ないと本気で思うからこそ数値を言ったのだろう。紙袋にも「12Bq」と書いてある。
 キノコのWさんは、ほとんど放射能など気にせず、天気もいいしキノコ採り日和だから、たぶん我慢できずに例年どおり山で採ってきただけなのだと思う。
 空気中の放射線量が非常に低い会津地方でさえ、キノコだけはND(検出限界以下)ではない。多くのキノコは根というより無数の細い菌糸を張り巡らし、かなり広範囲の地表から水分その他を吸収している。それでなくとも落ち葉は線量が高く、セシウムは地表近くに留まっているため、どうもキノコだけは高濃度になってしまうようなのだ。いっそキノコを殖やして除染しようというアイディアまであるくらいだから、今年は県内産のキノコだけはやめておこうと思っていたのである。困った。これがまた、天然モノならではの芳香を発しているから尚更困ってしまう。
 銀杏のKさんは、十年ほど前にJAの組合長に勧められ、苗木を植えた。亡くなった奥さんの仏壇も買いたいし、「俺は銀杏で稼ぐ」と決意してもいるから、必死なのだろう。ようやく木が大きくなり、たくさん出荷できるようになったのはごく最近のことだ。去年は高値でたくさん売れたし、Kさんは今年に賭けていたに違いない。
 私は思案する。せっかくのご好意だし、お釈迦さまは頂き物だけを食べて一生を終えた。しかも私はすでに五十五歳だし、今さら子供をつくるつもりもない。
 私は最後にベクレル(Bq)からシーベルト(Sv)への換算式を憶いだし、そして決断した。
 栗はいただき、銀杏は自家用だけを注文しよう。そして天然モノのヒラタケは、やめておこう。

 さて、ベクレルからシーベルトへの換算式というのは、以下のようなものである。
 放射性セシウムの場合だが、たとえば暫定基準値500ベクレルの牛肉を、毎日300グラムずつ365日食べたと仮定する。そんなことをすれば、放射能に関係なく、高脂血症などで成人病を引き起こす可能性のほうが心配だが、この際は放射能の影響だけを考えることにする。

 500Bq/kg×300g/1000g×365×1.3×10-8=0.0007115Sv=711.5μSv

 これはセシウム137についての式で、成人が口から摂取した場合の実行線量係数が「1.3×10-8」である。摂取した牛肉にセシウム134も同量含まれていたと仮定すると、合計では約876マイクロシーベルトになる(ここでの実効線量係数は、ICRP〔国際放射線防護委員会〕の基準に従った)。
 レントゲンによる胃の検査の被曝量が、およそ600マイクロシーベルトであることを考えれば、どの程度恐れるべきなのかも諒解できるだろう。
 ちなみに、口からではなく鼻から摂取してしまった場合、ヨウ素以外では係数が増える。セシウム137では3倍になるので「3.9×10-8」を掛けて求める。この換算式は是非覚えていただき、呉々も怖がりすぎないようにしていただきたい。
 ただその意味でも恐ろしいのは、県内でも何カ所かで検出されたプルトニウムである。たとえばプルトニウム239は経口摂取の場合の係数が2.5×10-7であるのに対し、吸入の場合は一気にその500倍ほどになる。

粘土が福島・宮城を救った

 福島県のこうした憂鬱な状況は、むろん今に始まったことではない。いや、春から夏までは明らかにもっと酷かった。
 福島県ではあちこちに、農家のお婆ちゃん達が自作の野菜を売り歩く習慣が今も残っており、我が三春町でも朝方は多くのお婆ちゃんがお得意様の家を巡るのだが、それがさっぱり売れなかったのである。
 春の小松菜の時期などは、「小松菜あっかい(ありますか)?」とお婆ちゃんが声をかけると、どの家も「小松菜は間に合ってっつぉい(間に合ってます)」と答えた。あまりに売れないため、新しい商売敵でも現れたかと思ったお婆ちゃんもいたようだが、むろんまもなく事情を知ることになる。
 しかしテレビなどでどんな数値が示されても何の実感もなく、お婆ちゃんたちにとってはただただ自作の野菜が売れない悲しい日々が続いたのだと思う。
 私の認識では、三月十二日から放射性物質が爆発的に飛散し始め、数日間連続で飛んだ後も、三月二十一日~二十二日、四月初旬、そして最後は六月の末にも何かあったのではないかと思っている。手元の線量計がそうとしか思えない値を示したからである。
 そしてこの空から降った放射性物質については、農作物は全く無力だった。露地モノはほとんど浴び放題である。お得意様の消費者達も「間に合ってっつぉい」と答えるしかなかった。
 しかしお盆明けくらいから状況は変わる。早生(わせ)の米の検査が行われ、会津地方も中通りも殆どの町で、精米した米からはセシウムが全く検出されなかった。
 正直なところ、これは意外だった。当初農林水産省は、米は長期に亘って水田にあるため、土壌からのセシウム移行割合を約10%と見積もっていた。つまり、土壌が1万ベクレルであれば、1000ベクレルくらいは米に入るだろう、だから暫定基準値の500ベクレル以下に抑えるには、耕作土壌も5000ベクレル以下にすべきと考えたのである。
 ところが結果はさにあらず。米に移行した割合は、およそ0.3%というところか。なぜだろう?
 その理由は九月六日に原子力委員会に提出された石井慶造先生の論文で明らかにされた。石井先生は東北大学大学院工学研究科の所属だが、さまざまな実験により、土壌中の放射性セシウムの七割ほどが、主に粘土粒子と強固に結合しており、その状態では植物には吸い上げられないことを確認した。
 それまでは、放射性物質の性質について語るのは、いつも核物理学者などだった。しかしここで問題なのは、陽イオンを形成するセシウムと、陰イオンとしてそれと結びつく粘土粒子との、化学的性質である。
 この結合は非常に強く、たとえばカリウムやアンモニウムなどの陽イオンとも、ほとんど置き換われないらしい。陰イオン側(粘土側)は、1型層状ケイ酸塩と呼ばれるのだが、薄いシート状の層が積み重なり、層と層の間に負電荷をもってセシウムイオンを閉じ込める。セシウムとの結合力が最大であるため、一旦カリウムイオンと結びついていた場合でも、セシウムに置き換わるようなのである。
 こうして、粘土粒子が多ければ多いほど、膨大なセシウム粒子が地面に固着し、植物に吸い上げられなくなる。
 石井氏は、「粘土が福島・宮城を救った」と書くが、言われてみれば日本の水田ほど粘土質の多い土壌はないし、普通の畑であっても火山列島ゆえに粘土粒子が多い。しかもチェルノブイリやスリーマイルとは比べようがないくらい降水量が多く、大雨で流されるのもまずはセシウムと合体した汚染粘土粒子なのである。
 唯一基準値を超えたのが二本松市小浜の米だったわけだが、ここはとりわけ砂質の多い田圃だったらしい。要するに粘土質と合体せず、水に溶ける形で浮遊していたセシウムが稲に吸い上げられてしまったのである。
 粘土質に固定された放射性セシウムは、放射性であろうとなかろうとだが、水に溶けないから川から水道水に入ることもない。また酸およびアルカリにも溶けないから、体内にも吸収されない。こういう有難いことが、石井先生の研究によって判ってきたのである。
 また同じ論文の中で、石井氏は果物(桃・梨・りんご)にセシウムが入りにくかった事情についても触れている。それによれば、福島県の果樹園などは有機栽培が多く、木の下には草が生えているため、その草にほとんどのセシウムが保持されているからだと言う。そのため、桃・梨・りんごなどに含まれるセシウムの量は、ほとんどがNDであり、あっても数ベクレル/kg以下だというのである。
 本当に、素晴らしい研究成果が発表されたものだが、残念なことにこの論文が広く読まれているとは決していえない現状である。

今年の桃は旨かった

 現実には、どういう状況だったのかというと、今年の福島の桃は、これまでにないほど糖度も高く、じつに旨かったにも拘わらず、市場での買値は例年の七分の一以下。例年は七キロの作業箱一つで二千三百円程度なのが、今年はたったの三百円で買われた。
 小売値のほうも、長野産や山梨産が一個三百円なのに対し、福島産は九十九円だったりした。
 そこに含有していた放射性セシウムは、キロ当たり最大で42ベクレル。むろん、多くの桃からは検出されていない。これは妥当なのか、それとも不当なのか?
 また、我が三春町ではピーマンの生産が盛んである。お盆の時期、JAたむらへの入荷量は一気に増える。しかし市場での売値は、岩手県産が一袋(百五十グラム)で二十~三十円なのに対し、三春産は十円だった。しかも放射性セシウムは検出されていない。
 今後は、県北部のりんごの季節になる。JA伊達みらいによれば、今のところ早生だけなので、値崩れはさほど起こっていないようだが、今後はどうなるか分からないと不安がる。
 福島地方の果樹栽培では、これまで長年かかって関東などを中心に個人客を増やしてきた。いわゆる「オーナー制度」で、樹木一本ずつにオーナーがあり、すでに収穫前から行く先が決まっている。有機栽培が多く、安全で美味しいと評判だったのである。
 ところが桃ではその個人客の多くが今年は注文を見送った。そのせいもあり、JA伊達みらいへの入荷量が例年の三割増しになったという。JA伊達みらいの年間売り上げ約百十五億のうち、約五十億は桃とあんぽ柿で稼ぐ。桃が値崩れしたのに例年の三分の二まで売り上げを伸ばせたのは、生育がよかったことよりも、むしろ個人客を抱えていた農園が、売り切れずにJAに出荷したからではないかと、担当者は分析する。
 つまり栽培農家から見れば、これまでJAに出荷しなかった個人客中心の農家ほど、大きなダメージを受けているということだろうか。これまで味に拘ってオーナーにまでなっていたような人が、かえって今年は放射能に拘って買わないのである。
 そしてJA伊達みらいでは、今後収穫のピークを迎えるはずのもう一つの稼ぎ頭、あんぽ柿を、県からの自粛要請を受け、今年は出荷しないことにした。
 セシウム134と137を合わせると、福島市内の柿の含有量はキロ当たり100ベクレルを超える。その水分を飛ばし、乾燥していく過程で、セシウム濃度が三~四倍に高まる可能性がある、というのである。
 あんぽ柿の場合、通常は柿の栽培農家が加工からラッピングまですべてを行なうため、まとめて検査するわけにも行かず、個別の検査態勢まではとても作れない、というのが実情である。
 おそらく柿や栗のセシウムも、地面から吸い上げたのではなく、花の時期に空から降った影響だろう。伊達市のあんぽ柿は全国一のブランド力を誇っていたのだが、はたして二〇一二年はどうなるのか? 今後再び空から降らなければ、実質セシウムは含有しないと思えるだけに、風評被害の行方が気になる。
 また大きな柿農家は収穫や製品化に当たり、地元のシルバーセンターなどで人を雇っていたため、今年はそうした雇用も見込めない。東電の賠償などでは行き届かない不安ばかりが、将来に持ち越されていくのである。

同情される代物としてでなく

 野田総理は二〇一一年十月十八日に二度目の来県を果たし、今後、総理官邸では福島県産の米を食べると宣言した。
 とてもありがたい表明ではあったが、これがどんなふうに受け止められているのか、少々気になる。
 もともと福島県産の米はとても旨い。私の知っている京都の懐石料理屋でも、ずっと福島県産米を指定で取り寄せてきた。魚沼産コシヒカリが実質生産量の二倍以上出回っているのは周知のことだが、このなかに福島県産米がかなり混じっていることは間違いない。
 旨いうえに、大方の米にはセシウムも混入していないのだから、本来は別に同情されるような代物ではないはずである。
 すでに早場米は市場にも出回っており、各JAは強気で、例年通りの価格で売り始めている。そこに首相の発言があったのである。
 おそらく、殆どの人々は先の石井氏論文のことも知らないから、これを温情溢れる首相の慈悲のように受け止めたのではないか。
 それでは困るのである。
 たとえセシウム入りでも、国に責任があるのだし、官邸で食べるのは当然だろう、首相は立派な決断をした……。そんなふうに受け止められるとすれば、それは違うのである。
 五月二十一日には中国の温家宝首相と韓国の李明博大統領が揃って福島市を訪れ、避難所になっていたあづま総合体育館で県内産のサクランボとミニトマトを試食してみせた。これも、両国の首脳に食べていただくのだから、当然安全なもの、放射性物質など入っていないものを食べていただいている。
 ところが県内産の農作物全体に漠然とした不信感だけをもっている人々、いや、中には東北全体にそれを敷衍している人々もいるようだが、そんな人々には、こうしたパフォーマンスがなにか悲壮感漂う自虐行為にも見えるらしい。
 中国や韓国は、震災後まもなく福島空港から上海便とソウル便を期間を定めず撤退させた。そういうこともあるから、尚更そう思ってしまうのだろう。
 しかし、……ここは大事なのでしつこく申し上げよう。
 安全なものは安全なのだから、温情でもパフォーマンスでもなく、正当に扱われてほしいのである。首相にも、是非石井論文を読んでから食べてほしい。

無害で美味しいこの米が

 今の世の中を見渡すと、どうも二種類の人がいるように思える。
 東京八重洲にある福島県の観光交流館は、震災後に開館以来の売り上げを記録し続けている。要するに、今回の被災に同情し、買って下さる優しい人々が大勢いるのだ。
 しかし一方で、普通にマーケットに置かれた福島産の野菜や牛肉、その他あらゆる食品が、たとえ去年作られた缶詰や味噌であっても、売れずに返品されている。大方の人は、できることなら福島産は何であっても避けたいと思っているのだろう。
 つまり、どちらの人々も、福島産の物品を、危ないかもしれないと思っている点では共通している。その上で、買う人と買わない人の二種類に分かれているだけなのだ。
 じつはこうした現象は、福島県内でも起こっている。
 特に幼い子供をもつ親たちの心配は、徹底している。先日私は夏休みの子供疎開運動の反省会に出席してきたのだが、そこでも県内産の食材は何によらず買わないという親たちが多かった。
 県外に避難した親子はむろんのことだが、残っている場合でも県内産は買わず、多くの自治体では彼らの要求に応えるべく、学校給食でも県内産を使わないところが増えている。小麦粉は外国産だし、三春の場合、米は去年のものを炊き、野菜も県外産を使っている。それでも給食は食べさせず、弁当を持たせる親も皆無ではない状況なのだ。クラスで一人だけ弁当を食べる子供のストレスを、親たちは過小に評価しすぎではないだろうか。
 要するに、現状ではどんなに細かく測定し、行政が安全を宣言しようと、彼らは信じるつもりなどないのだろう。必死な生産者の気持ちと、必死な親たちの気持ちの間には、大きな溝ができてしまっている。
 原因を考えると、原発事故当初の情報操作や隠蔽、あるいはTPOを心得ぬ学者たちの「直ちに影響はない」という繰り言への不信感が、今も尾を引いているように思える。またそれ以前の、賞味期限を偽り、ラベルにウソを表示するなどした売り手たちの不誠実も、今になって響いているのかもしれない。
 情報価値そのものが地に落ちてしまったのは間違いないことだ。

 しかし、そろそろこの渾沌とした事態から回復すべきではないか。
 食べ物の放射線量は、東電や国が測っているわけではない。
 被害に遭った県民、町民が、立ち直るべく自発的に測定し、場合によってはダブル・チェックし、正直に報告しているのだ。
 たしかに当初は測定できる器械が足りなかった。しかし今や市町村ごとに測定できるようになりつつある。しかもその結果に微塵でもウソを交えたら、その時は福島県が死ぬときだと、皆自覚しているつもりである。
 安全だとされるものは、どうかこれまでどおり味だけを問題にして買っていただきたい。それが私の、この秋の切なる願いである。

 うちの檀家さんにも新米を販売する店がある。その社長と話すと、強気のJAからは去年並みの仕入れ値で買わなくてはならない。いや、すでにもう、JAだけでなく、何軒かの農家の米もNDを確認し、平年並みの価格で直接仕入れたらしい。かなりの量だというが、はたしてこれが予定通りの小売値で売れるのかどうか、それが今後の重大問題なのだ。
 たとえ「ND」と表記されていても、測定器の精度によっては検出限界がゼロではないこともある。しかし福島県のモニタリング調査では、間違いなく「ND=ゼロ」である。そのことも付記しておきたい。
 無害で美味しいこの米がどう扱われるのか、私はそこに今の日本人の民度を見たいと思う。
 川俣の花火の事件も、郡山の橋桁のことも、今はもう問うまい。ただ新米の売れ行きだけが、気になる秋の夕暮れなのである。

2011/11/18 新潮45

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書籍情報



題名
祈りの作法
著者・共著者
出版社
新潮社
出版社URL
発売日
2012/7/31
価格
1365円(税別)※価格は刊行時のものです。
ISBN
9784104456086
Cコード
C0095
ページ
221
当サイトURL

タグ: 放射能, 東日本大震災, 祈りの作法