一月末から二月の初め、日本看護協会の招きを受けて沖縄に出かけてきた。やはり沖縄は別天地、かろうじて零度を上回る福島の気温からすれば、一気に二十度も上昇したことになる。緋寒桜がやや満開をすぎ、菜の花、椿はもちろん、なんとコスモスまで咲いている。さながら極楽とはこんな様子かと思う。
しかし那覇市内の県庁に近いホテルから二度ほどタクシーに乗っただけで、極楽の様相はすぐに一変した。たまたま二人の運転手さんに「普天間飛行場移設に伴う辺野古埋め立ての賛否」を訊(き)いてしまったため、私は行きと帰りのタクシーで正反対の意見を聞かされ、責められるような気分になってしまったのである。
昨年十二月二十七日、仲井真知事は、名護市辺野古の埋め立てを承認する内容の会見を行なった。それに先立つ二十五日、安倍首相との会談を受けてのこの変化は、地元新聞にも「変節」として激しく批判された。仲井真氏は先の選挙で、「県外移設」を公約にしていたからである。
一方、当該行政区である名護市長選が一月十九日に行なわれ、辺野古移設に反対する現職の稲嶺氏が再選を果たした。どう考えてもこの屈折は、人の心を落ち着かなくさせる気がした。私は二人の運転手の話を別々に聞きながら、二人が遭ったらどんな会話が成り立つのかと、勝手にハラハラしていたのである。
なんだか「中間貯蔵施設」や放射線への不安をめぐる福島の現状と、非常によく似ている。一方に産業振興があり、もう一方に環境や健康の問題がある。意見の違いは問題意識の大きな違いでもあるため、議論もできないままぐちゃぐちゃに乱れているのである。
沖縄での晩、大先輩である大城立裕氏と、夕食をご一緒させていただいた。大城氏は言葉を選んだあげく、「知事には同情を禁じ得ない」とおっしゃった。さらに心配そうな顔になり、「精神を病まなければいいが」とも。
たしかに記者会見のときの仲井真知事の顔つきは、私にも奇妙に思えた。「顔が変わった」という気がしたのである。
沖縄県の面積は、日本の国土面積の0.6%にすぎない。その土地に在日米軍基地の74%があるという現状は、捨て置いていいものではあるまい。しかし国家が代替え地を見つけられず、総理、官房長官、幹事長までが飴(あめ)と鞭(むち)で圧力をかけてきたら、仲井真氏ならずともおかしくならないだろうか。
沖縄ではT字路や三叉路などに「石敢當(いしがんとう)」という魔除(まよ)けの文字をよく見かける。魔物(マジムン)は曲がりきれず直進するため、その侵入を防ごうということらしい。「石敢當」も普天間から離着陸するオスプレイにはおそらく効かない。根本的な問題は、国家という巨大なマジムンに対処する新たな「石敢當」をどう作るのか、ということかもしれない。
2014/03/01 東京新聞ほか