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うゐの奥山 第44回

なしくずし

 「なしくずし」は、本来は「済し崩し」と書く。返済すべき借金などを少しずつでも返し(済し)、借金の山を崩していくことである。
 しかし世の中では、ここから転じた別の意味のほうを、むしろ普通に使う。手許(てもと)の辞書によると、「転じて、正式な手続きを経ず、いつのまにかうやむやにすること」とあり、用例として「既得権を~に形骸化していく」などとある。
 こんなことを考えたのは、久しぶりに原発被災地である楢葉町を訪ねたせいだ。全町避難を余儀なくされていた町村では初めて、楢葉町は九月五日に避難指示が全面的に解除された。それ以後、九月十九日には天神岬の「しおかぜ荘」がリニューアルオープンしたというので、秋の晴れた日に出かけてみたのである。
 太平洋が露天風呂から一望できるという温泉に、一度は来てみたかった。日帰り入浴は大人ひとり七百円。それでこの雄大な景色とお湯に浸れるのなら儲(もう)けものである。ただ、来ているのは復興関係者とか、郡山や福島、仙台などからの客が多く、地元客はむしろ少ないという。それもそのはず、町内の家々は立派だが人影は少なく、まだ洗濯物などの生活臭が殆(ほと)んど感じられない。聞けば帰還率はおよそ数%、確かにカーテンの閉められた家が多いのである。
 町の中を車で廻(まわ)ってみると、放射性廃棄物の仮置き場もそのままで、運び出された様子はない。そういえば、あまり報道はされないが、中間貯蔵施設建設用地の買収が進まず、同施設はいったいいつ着工できるのか、分からない状態である。
 帰還しない若者達(たち)の不安を除くため、「フォローアップ除染」と呼ばれる念入りな除染が繰り返されている。しかしその除染廃棄物の移送が叶(かな)わない現状では、元住民もそこで暮らすことへの不安を払拭(ふっしょく)しきれず、子供のいる若い夫婦は殆んど戻っていない。
 増え続ける汚染水の問題と、着工できない中間貯蔵施設。これだけでも、普通の感覚なら相当に気が滅入(めい)るはずである。多くの双葉郡の町村では、帰還を希望する人が元の人口の二割にも満たない。楢葉の知人の寺では、檀家(だんか)さん百軒のうち戻ったのが三軒、すべて夫婦とも運転できる高齢者だという。
 このままだと、素晴らしい温泉はあっても、楢葉町の将来が展望できない。楢葉だけでなく、双葉郡各町村の将来には今からでも大きなグランドデザインが必要なのではないか。オリンピックのエンブレムもいいが、こちらにこそ知恵を絞ってほしい。
 自治体そのものが、転じたほうの意味で「なしくずし」になっては困る。本来の意味で山積みの問題を「済し崩し」、事を進めてほしいのだが、東日本大震災以降、五人目の復興相と七人目の環境相はその辺のところ、どうお考えなのだろうか?

2015/11/07 東京新聞ほか

書籍情報



題名
なりゆきを生きる 「うゐの奥山」つづら折れ
著者・共著者
出版社
筑摩書房
出版社URL
発売日
2020-05-09
価格
1600円(税別)※価格は刊行時のものです。
ISBN
9784480815538
Cコード
C0095
ページ
240
当サイトURL

タグ: うゐの奥山, なりゆきを生きる「うゐの奥山」つづら折れ, 原発, 復興, 東日本大震災