お盆になると、子供の頃からいろんなことが起こったものだ。東京オリンピックの年に二匹の猫が貰われてきたのもお盆前。またその後に飼ったナムという柴系の雑種もお盆に境内に捨てられた犬だった。近所の人に拾われたスピッツは同じくお盆に現れたから「ボン」と名付けられた。お盆とは、子供にも大人にも、命の大移動に伴う大きな喜怒哀楽の時間なのかもしれない。
こんな話になったのは、今年のお盆に久しぶりに捨て猫があったからである。七日のお施餓鬼の法要が終わり、たまたま私が境内を歩いていると二人の姉弟(きょうだい)が駆け寄ってきた。「和尚さん、子猫がいるんだけど、目に砂が入ってて、堀に落ちそうなんだよ」弟がそう言うと、姉は目の様子をもう少し詳しく説明した。本堂横に行ってみると、なるほど生後ひと月余りと見える赤トラの子猫が、堀の近くでよろめいている。足音のするほうに向かってくるのを見ると、人に飼われていたのだろう。それにしても、この目はいったいどうしたのか……。
酷い目脂というより、両目そのものが化膿しているように見える。しかもよろついてあちこちにぶつかるせいか、そこに無数の砂粒が付着している。私は子供たちに一旦猫を任せてコンビニに牛乳を買いに走り、戻ると子供たちは名残惜しそうに墓参に来た母と祖母に促されて帰っていった。「心配しないで」とは言ったものの、猫の手も借りたい時期に無力な子猫を預けられた私は、ただただ途方に暮れた。
きっと飼い主に付けられた凝った今風の名前があるのだろう。そう思って私はなるべくぞんざいで思いが籠もらないように、仮に「ニャン太郎」と呼んでみた。「ニャン太郎!」と繰り返すうちに「にゃ~」と答えるようにはなったが、肢元(あしもと)に置いた牛乳の皿にはいっかな見向きもせず、それどころか皿に肢まで入れるではないか。いや、そんなことは別にいいのだが、とにかく「ニャン太郎」「にゃ~」というむなしいやりとりがいったいどれだけ続いただろう。ようやく皿から牛乳を自発的に飲みだしたのは夜七時近く、すでに薄暗がりの中だった。
ニャン太郎はしかし夜になっても彷徨をやめず、牛乳皿とタオルを入れた段ボールからいつしか見えなくなった。朝、檀家さんのご婦人が「駐車場で猫が死んでます」と駆け込んで来て、女房が一緒に行くとむくりと動きだした。一度は安心したものの、女房に井戸水で洗ってもらい、見違えるほどきれいになってからも相変わらず牛乳も水も飲まない。夕方、キャットフードを二種類持ってそのご婦人がまた来てくれ、猫好きの彼女は動物病院に診てもらうと連れ帰ってくれたのだが、その晩に「呼吸不全」……。彼女の家の庭先に埋葬された。
足かけ三日のあっという間の出来事だったが、私の手に残った繊細な命のぬくもりはなかなか消えない。ああ、ニャン太郎、本当の名前は知らないけれど、お主まさか二月に逝った父ではあるまいな……。お盆の寺ならではの異界奇想、か。
2016/09/30 東京新聞ほか