解説をと依頼され、原稿が届いたのはお盆直前。しばらくは読めないだろうと諦めていたのだが、試しに頁を捲って読み始めてみると止められなくなり、途中で何度も客の応対をしながら原稿に戻るという調子だが、とうとうその日のうちに読み終えてしまった。とにかく面白い本だがジャンル分けが難しい、というのが最初の印象である。
つまりそこには、音楽療法の話もむろん登場するが、ドイツ人の旦那さんとの馴れそめから日常、お城のような邸(やしき)やその周囲の情景、そこで働く人々、漆黒のスコットランド・ラブラドールなど、要するに著者である多田さんを現在の多田さんたらしめている全てを、過去も含めて忌憚なく描いているかと思えた。些か小説的な厚みを感じさせるご自身の重層的なドキュメンタリーだろうか。
構成は、けっして油絵具を塗り重ねるようなドイツ的手法ではない。繋がりの分からない話題転換が突然なされ、「虚」の空間の周囲に林や川などが描かれ、しばらくするとその「虚」なる空間に何かの気配が蠢きはじめ、全体に繋がる。まるで山水図のような作法なのである。
とりわけ夫であるデーゲンさんの登場は唐突で、驚くほど速やかに話をまとめてしまう。そう見えるのだが、たぶんそうではない。多田さんの中には以前に聴いた夫の言葉がいつでも引き出せる状態で浮かんでおり、文章においても、過去は現在に違和感なく溶け込んでいるのだ。
和辻哲郎の『風土』をフランス語訳したオギュスタン・ベルク氏は、風土は環境と違い、純粋な客体にはなりえないと言う。(「コスモス国際賞」受賞記念スピーチ)。なぜなら風土には必然的に主体性が伴うから、というのだが、氏はまた東洋の山水図について、結局は吾(われ)が「いかにおはす」かを描いたものだとも指摘する。どんな場所に暮らすかが人生を決定づける、との考え方が「風水」として追求され、それを学んだ多くの僧侶たちが全国に適地を求め、寺や庵を建立して山水を愛でた。この本を読んでいるとどういうわけかそんなことまで憶いだしたのだが、それは多田さんがいま新たな風土を獲得し、そこで「いかにおはす」かを表現したと感じたからだろう。
多田さんはべつに風水的な理想の地を求めてドイツに渡航したわけではない。その経緯や成り行きは二十二年前に刊行された『響きの器』にも詳しいが、一読して私が思ったのは女性版「わらしべ長者」のようだ、ということ。好運、というより、縁そのものを信じ、未知なる世界にその身を任せられる人と思えた。
ドイツの私大の音楽治療科受験のとき、学長さんは「私たちは、天使の力が欲しいのです」と言ったそうだが、まさに彼女こそ仲介者や讃美者としての資質を、見事に具えている気がする。
思えば私には、多田さんの専心する「音楽療法」を解説する知識も体験もない。ただこの本から感じる彼女とクライアントとの接触は、九州大学の成瀬吾策(ごさく)氏が創始した「臨床動作法」を想わせた。片や音とみみ(身の身)による接触、もう一方は動作への誘導と接触だが、どちらも底抜けの慈悲(のようなもの)に支えられている。
多田さんの場合、抜けた底の下にはおそらく天照大神が籠もった天岩戸の深い闇があるのだろう。「いつでも、どこでも、歌えるわけではない」という彼女の一面も、その洞窟に通じているだろうか。相手に向き合い、彼女はいちいちその闇まで戻ることを繰り返しながら、相手の発する気配に共振していくのではないだろうか。障碍者施設の住人たちや鬱病、自閉症の子供など、多田さんは多くの集団や個人にセッションを行なってきた。老子や荘子はその闇を「渾沌」と呼び、創造の現場と捉えたが、多田さんはおそらくそこでの相手の創造を仲介しつつ、洞窟に繋がる「天」(彼女はこれを〈しぜん〉と訓む)の力を讃美してきたに違いない。
多田さんの行なう「即興」のセッションが興味深いので再録してみよう。
「まずは、二人ずつ向かい合う。いきなり顔と顔を向かい合わせないで、相手と背中合わせになって、自分の身体の音にみみを澄ませる”」
「相手の背中の温かみや呼吸を感じ、互いの背中の様子が変化してくるのを感じていると、ため息が出たり、そのうちしぜんに声が出てきたり、それらの波動が互いの身体に伝わってくるだろう」
「触れ合っている背中が離れたくなったら、間をもち、距離を保ちながら向かい合う。それから声と声が絡み合ったり、摩擦が起きたり、激しくぶつかり合ったり、様々なことが起き始める」
まるで催眠時のような描写だが、その点も「臨床動作法」に通じる。また二人の間には明らかに洞窟の如き渾沌が介在している。多田さんによれば、「即興は、引き寄せではなく、放つ、自分に引き寄せてきたものが放たれていく『時』で、それらがばらばらに放たれると、どこからか新たな気づきが降りてくる」というのだが、ここにもあらゆる展開を縁として受けとめ、そのプロセスじたいを讃美する底抜けの天使性が認められはしないだろうか。
なにゆえ多田さんはかくも天使的であり得るのか。ご本人がどう答えるかは分からないが、私とすれば本書を読み進めながら一つの確信を得た。それはデーゲンさんとの縁によってこの物語が始まり、彼女はそれを全うすることに一点の疑念も迷いも感じていないからではないか。
三年前に古稀を迎えたというデーゲンさんとはいったいどんな人物なのか……。巻末や本文途中の素敵な写真を撮り、いつもこんな言葉を仰る人らしい。
「調和とは、揺れ動くもので、常に調整をし続けなければならない。植物も陽に当て水をやり、時には土を入れ替えたりしながら養い培っていく。人と人との関係も同じである」。
今後も多田さんがすっかり馴染んだ風土で新たな調和を求め、「游ぶ」が如く上機嫌に活動を続けていくのは間違いないだろう。
ここでは彼女と共に、デーゲンさんの慈愛と叡智を讃え、変わらぬご壮健を念じておきたい。
お盆の闇は天岩戸のように深い。私の「みみ」は蝉の声の彼方に大いなる静謐を捉え、ふいにマックス・ピカートの『沈黙の世界』を憶いだした。ドイツは今ごろ夕方だが、多田さんはきっと天岩戸の深い沈黙のなかで、今日もそれを壊さない音や言葉を探し求めているに違いない。
令和四年 八月送り盆の夜に 玄侑宗久 謹誌
2022/09/29 『楽の音(らくのね) ドイツの森と風のなかで』多田 フォン トゥヴィッケル 房代