昔、うちのお寺には、不思議な出で立ちの薬売りが定期的に来ていた。子供だった私の記憶だからアテにはならないが、どうもそれは忍者を彷彿させたのである。
むろん、実際の忍者など見たこともない。仲間とブリキで手裏剣を作り、黒覆面をしてそれを飛ばす遊びはしたが、薬売りが黒覆面で来るはずもない。おそらく忍者らしく感じたのは、脚に巻いた脚絆(きゃはん)のせいではなかっただろうか。その人は紺色の袢纏(はんてん)めいた上着を羽織り、足許にきっちり脚絆を巻き、いつも近所の子供たちを引き連れてやってきた。そして本堂前で、紙風船を踊るように打ち続けるのだった。両手はもちろん頭や足、時には背中や腹にも転がしながら、張り詰めた紙風船をけっして地面に落とさない。短髪に日焼けした顔、俊敏な動きと脚絆、たぶんそれらが一体になって忍者を想わせたのだろう。
子供を楽しませても薬の売り上げ向上には役立たないと思うのだが、その人は必ず玄関から入るまえに子供たちをそうして楽しませた。だから今でも「富山の薬売り」と聞くだけで、私はなんとなく怪しい魅力を感じてしまう。もしかすると、そう感じた子供たちが大人になって、また子供たちのために置き薬を置いていたのだろうか。
子供たちの間では、あの人が「薬を売る」のは仮の姿ではないか、という見方が横行していた。貰った紙風船を自分で打ってみると、途端にさっきまでの張り切った紙風船とは別物のように凋んでしまう。そんなとき、近所の仲間たちは決まって「あの人は本当は隠密なんだよ」などと言いだす。「隠密」の意味もよく分からず、「なにかを探りに来たんじゃないか」「いや、下手人(げしゅにん)を探してるんだよ」「逆に俺たちを拉致するんじゃないか」などと勝手な言葉で勝手な想像を膨らませた。妙な言い方だが、昔の薬売りは子供たちに夢や幻想も同時に配り歩いたのではないだろうか。
うちは今でも三社の置き薬を富山の薬屋さんから預かっている。今では薬売りも背広にネクタイ、革靴を履き、みな軽自動車でやってきて子供サービスも特にしない。だから必要な薬をあまり一社に偏らないよう注意して飲むだけという、じつに現実的な関係である。
今の彼らはまったく怪しくないし、夢もない。そうなってしまうと、再びあの頃のあの人は、自動車ではなくどうやって来ていたのかと不思議に思い返す。そして風邪のひきかけに葛根湯がやけに効いたのも、もしかするとあの怪しさによるプラシーボ効果(偽薬効果)か、とも思ったりするのである。
しかし二〇一一年三月、私が住む福島県三春町の人々は、福島第一原発の事故直後、富山の薬の怪しい恩恵に一斉にあずかった。四〇歳未満の人がいわゆる「安定ヨウ素剤」を飲んだ唯一の町になったのだが、じつはその薬、富山の日医工の「ヨウ化カリウム丸」だったのである。
私はその薬を怪しげに見つめながら、久しぶりにあの忍者のような薬売りを憶いだした。三春では誰一人甲状腺がんを疑われなかったが、やはり怪しい薬は怪しい時にこそ頼りになるのである。
富山の置き薬(下) かまくら春秋社