加持の力
(エッセイ・ 2015/8/31 )

 先日、京都大学こころの未来研究センターの主催で、東日本大震災後の現状と問題点などをさまざまな観点で検討するシンポジウムが開かれた。題して「こころの再生に向けて」。  私は福島県民の現状を、平安朝に流行した「あはれ」とい […]

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三つの言葉
(エッセイ・ 2005/12/10 )

各界の有識者32名が選んだ時代を象徴する3つの言葉 「正義」「効率」「遊ばない」  私は今年、『やおよろず的』という本を出したが、世界はそんなことにお構いなく、正義を振りかざす人々に満ちている。正義を認めないから「やおよ […]

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「もらい笑い」の思い出
(エッセイ・ 2005/9/1 )

 最近はあまり聞かないが、かつて中国には泣き女・泣き男という習慣があった。つまり儒教で葬儀をするに際し、儒教には僧侶に当たる人がいないので、儀式ぜんたいを泣くことで盛り上げ、ある種のカタルシスにまで運んだのだろう。  唐 […]

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言語道断と自業自得
(エッセイ・ 2005/2/26 )

本意異なる日常語  仏教語のなかには、完全に日常語になっていながら、その意味は変わってしまったものも多い。  たとえば言語道断。これはよく「道」が「同」と間違って書かれるが、本来「道」は「いう」と読み、言語で道うことが難 […]

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どっこいしょ
(エッセイ・ 2005/2/19 )

「六根清浄」が語源  立ったりすわったりするとき、「どっこいしょ」と呟(つぶや)いたりすると「年だなぁ」なんて冷やかされる。あるいは自分で自嘲(じちょう)のわらいを漏らしたりするわけだが、この言葉もともとは「六根清浄」が […]

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魔羅
(エッセイ・ 2005/2/12 )

修行をはばむもの  とうとうこんな言葉まで、と眉(まゆ)を顰(ひそ)める方もおありだと思うが、これも仏教語なのだから仕方ない。もともとは僧侶たちだけが使った隠語なのだが、いつのまにか世間に知られてしまった。ばらしたのは誰 […]

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檀那と坊主
(エッセイ・ 2005/2/5 )

意味いつやら変化  「社長、ちょっと寄ってくださいよ」なんて今の客引きは言うが、昔は「旦那(だんな)さん」と呼びかけた。この「旦那」、本来は「檀那(だんな)」と書く。梵語(ぼんご)のダーナパティの音写である。  もともと […]

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ホラ吹き
(エッセイ・ 2005/1/29 )

「ウソから出た真」願う  ホラ吹きとは、一般にはウソつきのことだが、事を大袈裟(おおげさ)に話すことも含むだろうか。その場合は特に「大法螺(おおぼら)を吹く」と言ったりする。  ご存じのように、法螺とは修験道などで使われ […]

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後生と一蓮托生
(エッセイ・ 2005/1/22 )

この世の決算 あの世で  最近はあまり耳にしなくなったが、「後生だからお金貸しておくれよ」なんて、昔は言ったものだった。今でも時代劇だと「後生だから助けて」などと頼む。  この「後生」は、むろん本来は後の生、つまり来世の […]

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莫迦
(エッセイ・ 2005/1/15 )

もともと僧侶の隠語  以前、「全国アホ・バカ分布考」という本があった。題名にそぐわずまじめな言語学の本で、柳田国男さんの「蝸牛考」を推し進める形で言葉の発生と伝播(でんぱ)について論じていた。  つまり昔の言葉のほとんど […]

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