復興
人牛同病
(エッセイ・
2011/7/3 )
政府の復興構想会議が一段落して、今一番気になっているのは警戒区域内に取り残された動物たちのこと、また福島県民の内部被曝(ひばく)のことだ。しかもこの二つは、私のなかでは繋(つな)がっている。 犬・猫などのペットについ […]
海と阿弥陀堂
(エッセイ・
2011/7/1 )
いわきの豊間や四ツ倉などの海岸は、私にとって海そのもの。子供の頃、驚きながら見つめ、怯えながら入り、そしてザリガニなどを追って楽しく駆け回った海である。 叔父がいわきで学校の先生をしており、そこへ泊まるのが唯一海で遊 […]
新 仕事の周辺
(エッセイ・
2011/6/12 )
四月から、政府の復興構想会議のメンバーをお受けすることになった。こういうことになると、じつにさまざまな方々からご連絡がある。手紙やメイルで資料を送ってくださる方、また「これは使えないか」と、放射線の防護や除染についての […]
福島から意見発信 東北の風土守る復興を
(インタビュー・
2011/6/7 )
東日本大震災発災直後から、メディアやブログを通じて発言を続ける。 生まれ育った福島県三春町にとどまり、日々刻々と変化する状況を見つめながら 本当に残酷な状況。心身を支えるための労働ができず、朝から何もやることがない。ア […]
急げど慌てず
(エッセイ・
2011/5/1 )
この度、東日本大震災の復興構想会議メンバーになった。それでなくとも組織が多すぎ、指揮系統が複雑でよく分からないのだが、ともかく発言の場は与えられる。微力を尽くしたいと思っている。 今回の震災では、あまりにも未経験のこ […]
揺れるやじろべえの重し
(インタビュー・
2011/4/26 )
玄侑宗久さんが済む福島県三春町は福島第1原子力発電所から45キロ。あらゆる業種が風評被害を受け、自殺者も少なくないという。 「放射能へのおびえ、リストラ、余震。生きる地盤そのものが揺れている。津波とは別種の災害がダメ […]
三春町民が安定ヨウ素剤を飲んだワケ
(エッセイ・
2011/4/9 )
三月十一日午後二時四十六分に起こった大地震は、その後の甚大な津波災害を伴い、また福島第一原子力発電所の危機によって、さながら地獄図のような様相を呈してきている。 私の住む福島県三春町も当該原発から約四十五キロ西にあり […]
骨と血で生き直せる
(インタビュー・
2011/4/2 )
私が住んでいる福島県三春町は東京電力福島第一原発から約45キロ・メートル圏。震災当初は目を覆うばかりの津波の被害に呆然としたが、今は原発の脅威をひしひしと感じている。岩手県や宮城県は復興へ向けて動き始めたが、福島県はま […]
何も言えない、でもここが道の原点
(インタビュー・
2011/3/30 )
東日本大震災をわたしたちはどう受け止めればいいか、自らも被災した福島県三春町の福聚寺住職で作家の玄侑宗久さん(54)に聞いた。 天明の大飢饉以来 被災者全体に向けて言える言葉なんかありません。身元確認も供養もできないご […]