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同期の桜、桜の同期
(エッセイ・ 2023/3/16 )

 冬の境内を歩いていると、よく桜の枯れ枝を見つける。木枯らしに耐えかね、折れたのだろう。土に還ることを想い、私はそのまま歩き去る。昔から「桜切る莫迦、梅切らぬ莫迦」などと言うが、桜の古枝はこうして厳しい自然が静かに淘汰し […]

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ミセス4月号にエッセイ掲載
(おしらせ・ 2020/3/5 )

3月6日発売のミセス4月号 特集「春爛漫、咲き誇る日本の桜」にエッセイ「滝桜ファミリー」が掲載されます。 […]

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家庭画報4月号にインタビュー掲載
(おしらせ・ 2020/2/28 )

2月29日発売の家庭画報4月号 特集「復興への祈りを込めて~東北の桜街道を行く」にインタビューが掲載されます。 […]

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婦人画報にエッセイ掲載
(おしらせ・ 2020/2/25 )

3月1日発売の婦人画報4月号に、滝桜の写真とエッセイ「『つなぎ』の桜。」が掲載されます。 […]

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愛姫生誕四百五十年
(エッセイ・ 2018/4/8 )

 お寺ではあまり生誕何年というお祝いはしないのだが、今年は永禄十一(一五六八)年に生まれた愛(めご)姫(ひめ)の誕生から四百五十年めになる。福聚寺の開基田村家のご息女であるわけだし、年忌ではないが無視するわけにもいくまい […]

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めでたい花まつり
(エッセイ・ 2018/4/1 )

 お釈迦さまの誕生を祝うお祭りは、アジアだけでなく世界各地で行なわれている。灌仏会(かんぶつえ)とか降誕会(ごうたんえ)、また明治以降は「花まつり」という呼称も使われるようになった。その誕生を祝福し、九頭の龍が現れて産湯 […]

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見えない輪
(エッセイ・ 2017/3/1 )

 滝桜に向き合うと、私は時に「見えない輪」を二つ感じる。謎をかけるつもりはないので申し上げてしまおう。「見えない輪」とは、一つは年輪、もう一つはその子孫樹が描く巨大な円のことである。  まず年輪だが、当然ながらこれは伐ら […]

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桜の根元
(エッセイ・ 2016/2/2 )

 三春には、樹齢千年を超える瀧桜を中心に、枝垂れ桜が二千本以上、他の種類も入れると一万本以上の桜がある。東北地方では、桜の開花期がちょうど種蒔き時に重なるせいか、農業神(サ)の降り立つ場所(クラ)として、桜は特別に愛され […]

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さまざまの事
(エッセイ・ 2015/4/26 )

 桜が今年も咲き、大勢の人々が三春の町にやってきた。昔から「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」と言うが、今年は特に「人同じからず」を強く思った。  歳々年々人同じからずとは、本来は同じ人の年齢による感受性の変化の […]

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さすけねって
(エッセイ・ 2013/10/1 )

 このところ、わが三春町では「さすけね」という方言がはやっている。いや、本当は、特にはやっているわけではないと思うのだが、なぜか今年の町のPRポスターに「さすけね」の一言が大書されたのである。  標準語の「差し支えない」 […]

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桜が枝垂れたワケ
(エッセイ・ 2009/3/31 )

 今年(二〇〇九年)の二月に朝日新聞が桜についてのアンケートを行なった。全国各地四十本の桜を予めリストアップし、そのなかから自分にとってのベスト3を選ばせたのである。  どうしてそんなに競わせたいのか分からないけれど、と […]

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三春の桜
(エッセイ・ 2007/3/7 )

 三春町には、いったい桜が何本あるのだろう。  一億円のふるさと創生資金のうち、八千万が桜の植栽に使われた。その時点で本数は吉野を超え、日本一になったのだとも聞いた。むろんそれ以前から紅枝垂れは数多く、四百数十年まえの殿 […]

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