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「The Guardian」に「光の山」の英訳が一部掲載
(おしらせ・ 2017/1/10 )

イギリスの「The Guardian」に、「光の山」の英訳が一部掲載されました。翻訳はシンガポール在住のSim Yee Chiang 氏です。 […]

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東京新聞ほかにエッセイ「うゐの奥山第57回 デスモスチルス」掲載
(おしらせ・ 2016/11/30 )

2016年12月3日(土)の東京新聞と中日新聞に「うゐの奥山 第57回 デスモスチルス」が掲載されます。 【追記】 本連載は書籍化されました。 […]

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南山に雲起こり……。
(エッセイ・ 2016/11/30 )

 禅語に、「南山に雲起こり、北山に雨下(ふ)る」という言葉がある。辞書によっては「雲を起こし」「雨を下(くだ)す」と訓じているが、これは中国語独特の表現であくまでも自発。他動詞的に訳すと余計な意味が付着する。  そんなこ […]

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東京新聞ほかにエッセイ「うゐの奥山第56回 南山に雲起こり……。」掲載
(おしらせ・ 2016/11/2 )

2016年11月5日(土)の東京新聞と中日新聞に「うゐの奥山 第56回 南山に雲起こり……。」が掲載されます。 【追記】 本連載は書籍化されました。 […]

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東京新聞ほかにエッセイ「うゐの奥山第55回 鎖国と和算」掲載
(おしらせ・ 2016/9/30 )

2016年10月1日(土)の東京新聞と中日新聞・10月15日(土)の北海道新聞に「うゐの奥山 第55回 鎖国と和算」が掲載されます。 【追記】 本連載は書籍化されました。 […]

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さらば、ニャン太郎!
(エッセイ・ 2016/9/30 )

 お盆になると、子供の頃からいろんなことが起こったものだ。東京オリンピックの年に二匹の猫が貰われてきたのもお盆前。またその後に飼ったナムという柴系の雑種もお盆に境内に捨てられた犬だった。近所の人に拾われたスピッツは同じく […]

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東京新聞ほかにエッセイ「うゐの奥山第54回 さらば、ニャン太郎!」掲載
(おしらせ・ 2016/8/26 )

2016年10月1日(土)の東京新聞と中日新聞・10月15日(土)の北海道新聞に「うゐの奥山 第54回 さらば、ニャン太郎!」が掲載されます。 【追記】 本連載は書籍化されました。 […]

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河北新報に『十牛図 玄侑宗久 監修・解説、水野聡 訳』の書評掲載
(おしらせ・ 2016/7/21 )

2016年7月18日の河北新報朝刊「東北の本棚」欄に『十牛図 玄侑宗久 監修・解説、水野聡 訳』の書評が掲載されています。 […]

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「往く」のではなく「還る」
(エッセイ・ 2016/7/18 )

 臨済宗僧侶という立場上、特定の死生観を奉じていると思われるかもしれないが、むしろ逆である。つまり、多くの人々に戒名をつけ、引導を渡すことを仕事にしているため、故人それぞれの人生上のテーマを探し、それを肯定しなくてはなら […]

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東京新聞ほかにエッセイ「うゐの奥山 第52回 レジリエンスと『寿(ことぶき)』」掲載
(おしらせ・ 2016/7/2 )

2016年7月2日の東京新聞と中日新聞・7月16日の北海道新聞に「うゐの奥山 第52回 レジリエンスと『寿(ことぶき)』」が掲載されます。 【追記】 本連載は書籍化されました。 […]

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現代語訳 十牛図
(論評・ 2016/3/31 )

中国宋代に廓庵禅師が生み出した「十牛図」。禅の悟りを牛にたとえ、修行のプロセスを表現した解説図だ。古典翻訳家による現代語訳と禅僧作家・玄侑師の解説。失われた牛(自己)を探し求める旅は、日常の中で惑う現代人にも様々なことを […]

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西来院での偶然
(エッセイ・ 2016/3/5 )

 この世に偶然などないと考える人々もいる。そういう人々にとっては、悪いことが続いたりすると深刻である。必ず原因が明確にあるはずだと考え、それがはっきりしないのは自分の力不足だと思い、自責的にもなってしまう。逆に善(よ)い […]

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