自著・共著に関する記事
さらば、ニャン太郎!
(エッセイ・
2016/9/30)
うゐの奥山 第54回
お盆になると、子供の頃からいろんなことが起こったものだ。東京オリンピックの年に二匹の猫が貰われてきたのもお盆前。またその後に飼ったナムという柴系の雑種もお盆に境内に捨てられた犬だった。近所の人に拾われたスピッツは同じく […]
東京新聞ほかにエッセイ「うゐの奥山第54回 さらば、ニャン太郎!」掲載
(おしらせ・
2016/8/26)
2016年10月1日(土)の東京新聞と中日新聞・10月15日(土)の北海道新聞に「うゐの奥山 第54回 さらば、ニャン太郎!」が掲載されます。 【追記】 本連載は書籍化されました。 […]
河北新報に『十牛図 玄侑宗久 監修・解説、水野聡 訳』の書評掲載
(おしらせ・
2016/7/21)
2016年7月18日の河北新報朝刊「東北の本棚」欄に『十牛図 玄侑宗久 監修・解説、水野聡 訳』の書評が掲載されています。 […]
「往く」のではなく「還る」
(エッセイ・
2016/7/18)
臨済宗僧侶という立場上、特定の死生観を奉じていると思われるかもしれないが、むしろ逆である。つまり、多くの人々に戒名をつけ、引導を渡すことを仕事にしているため、故人それぞれの人生上のテーマを探し、それを肯定しなくてはなら […]
東京新聞ほかにエッセイ「うゐの奥山 第52回 レジリエンスと『寿(ことぶき)』」掲載
(おしらせ・
2016/7/2)
2016年7月2日の東京新聞と中日新聞・7月16日の北海道新聞に「うゐの奥山 第52回 レジリエンスと『寿(ことぶき)』」が掲載されます。 【追記】 本連載は書籍化されました。 […]
現代語訳 十牛図
(論評・
2016/3/31)
十行本棚
中国宋代に廓庵禅師が生み出した「十牛図」。禅の悟りを牛にたとえ、修行のプロセスを表現した解説図だ。古典翻訳家による現代語訳と禅僧作家・玄侑師の解説。失われた牛(自己)を探し求める旅は、日常の中で惑う現代人にも様々なことを […]
西来院での偶然
(エッセイ・
2016/3/5)
うゐの奥山 第48回
この世に偶然などないと考える人々もいる。そういう人々にとっては、悪いことが続いたりすると深刻である。必ず原因が明確にあるはずだと考え、それがはっきりしないのは自分の力不足だと思い、自責的にもなってしまう。逆に善(よ)い […]
新刊JPのサイトに「ないがままで生きる」の書評掲載
(おしらせ・
2016/2/15)
新刊JPのサイトに「ないがままで生きる」の書評「芥川賞作家が解釈する『こんにちは』の意味」が掲載されています。 […]
桜の根元
(エッセイ・
2016/2/2)
三春には、樹齢千年を超える瀧桜を中心に、枝垂れ桜が二千本以上、他の種類も入れると一万本以上の桜がある。東北地方では、桜の開花期がちょうど種蒔き時に重なるせいか、農業神(サ)の降り立つ場所(クラ)として、桜は特別に愛され […]
「あの世」への旅路
(エッセイ・
2016/1/10)
看取り先生の遺言 2000人以上を看取った、がん専門医の「往生伝」 解説
久しぶりに充実した本を読んだ。 岡部健先生のことは、以前から聞き知ってはいた。この本にも登場する、東北大学の鈴木岩弓先生や、宮城県の金田諦應師などの口から聞いたのだと思う。 岡部先生が命名したという「臨床宗教師」の […]
志賀島
(エッセイ・
2016/1/9)
うゐの奥山 第46回
先日、講演で福岡へ出かけた折に、女房と志賀島(しかのしま)まで行ってきた。全国でも珍しい砂州による陸繋島(りくけいとう)だが、今では「海の中道」という立派な道路で繋(つな)がり、潮の満ち干に関係なく車で渡れる。 志賀 […]
鶴と亀と還暦
(エッセイ・
2016/1/6)
還暦に思うこと、というご要望なので、一巡した丙申(ひのえさる)までの人生を些か振り返り、いま思うことを書いてみたい。 自分のこれまでの人生を省みると、どうやら私は敷かれたレールからいつも少しずれた道を歩き続けてきたよ […]