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私の一点
(エッセイ・ 2003/6/26 )

目の悟り 本来の自己「現す」のが真骨頂 (鎌倉-禅の源流展)  新聞紙上でどの程度文字が読みとれるか疑問だが、これは大覚禅師蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が建長寺で弟子に示した言葉である。「無位の真人」(あらゆる立場や役 […]

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道元を語る
(書籍・ 2003/4/28 )

道元に学ぶ、本当の生き方 道元の「未来へのメッセージ」に迫る! “塀”のなかに暮らす現代の人々が、道元に坐禅を教えてほしいと頼んだとしたら、道元はいったい、どのような反応を示すと想像しますか。 <養老>馬鹿者、面を洗って […]

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有時(うじ)するということ
(エッセイ・ 2003/4/8 )

 宗門人、つまり特定の宗派に属する私には、道元禅師の曹洞宗でなくて佳かった、というのが現在の正直な感想である。禅師はあまりにも巨大であり、しかもその巨大さが著書として残っているからである。  イエス・キリストも釈尊も、自 […]

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三途の川の日本的変質
(エッセイ・ 2003/3/31 )

 日本人なら、「三途の川」を知らない人はいないだろう。しかし実際どんな川なのかは、案外知らない人が多いのではないだろうか?  日蓮の『十王讃歎鈔』(日蓮に仮託された偽書らしい)によれば、その川幅は四十由旬(ゆじゅん)だと […]

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坐禅と瞑想
(エッセイ・ 2003/3/21 )

 先日、ご縁があってベルギーとハンガリーに行ってきた。主な用事は女房がブリュッセルで行う「こより」の展示の手伝い、そしてそれだけじゃなんだから、と設定されたブダペストでの私の講演だった。  そちらのほうはお陰さまで無事済 […]

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お風呂のような、般若心経
(エッセイ・ 2003/2/28 )

 なんて不謹慎な題か、と思われるかもしれない。しかし断っておくけれど、私はお風呂がとても好きなのである。しかしだからといって「とても好きな般若心経」でいいかというと、それほど単純ではない。お風呂もいろんな入り方が可能であ […]

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【文庫】化蝶散華
(書籍・ 2002/2/15 )

禅寺の入婿として副住職の地位につく主人公の理洲には、先物取引に溺れ親の老後の蓄えをすべて失わせた過去がある。悔恨から家出、浮浪者になり果て、最後は寺に拾われ僧侶になる。彼にずっとつきまとうのは人間の欲望と金の関係。禅の修 […]

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化蝶散華
(書籍・ 2002/2/15 )

「身と貨と孰(いず)れか多(まさ)れる」 人間存在にとって金銭とは何なのか お金も「氣」も流動しめぐるもの? 禅寺の入婿として副住職の地位につく主人公の理洲は、かつて先物取引で親の老後の蓄えを全て失わせるという過去がある […]

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