論評
玄侑の著作への書評などを掲載します。
重松清さんのポケット バージョンアップできるかな
(2004年1月11日 朝日新聞掲載)
『禅的生活』はタイトルのイメージどおり人生指南の一冊だが、その種の本を敬遠する読者には「言葉の本」だと紹介しておきたい。百を超える禅語―お馴染みのものでいえば「知足(ちそく)」「日日是好日(にちにちこれこうにち)」「安 […]
「生の謎」に迫る試み
(2003年10月23日 読売新聞掲載)
実際、<生の謎>に真摯に迫る作品は、今月も新たに生まれている。玄侑宗久氏(46)『アミターバ=無量光明=』(新潮)は、胆管がんに侵された八十歳目前の女性が、約三か月後に亡くなるまで、そして肉体を抜けて光になり、浄土=ア […]
~肉体滅びても魂は残る~ 無明に光を「鈴虫とアミターバ」
(2003年9月17日 読売新聞掲載)
多くの人にあの世はあるのか、極楽はあるのか、地獄はあるのかと訊かれる。問う人は年齢も男女の別もない。 殊に近い過去に愛する人に死別した人たちは、涙ながらに真剣に訊いてくる。また現在、すでに医者から死期を予告された病人 […]
『アミターバ』奇縁
(2003年7月19日 中日新聞 週刊読書かいわい掲載)
私はあの世も霊魂も幽霊も信じない。あるとしたら、銃やミサイルで殺されたり、ビルの屋上から突き落とされたり、家族もろとも手錠でつながれて海へ捨てられたりした罪もない人たちの無念の霊は、どうなるのだろう。その下手人たちが残 […]
虚の世界が現実以上の現実となって現前する一瞬を語る
(2003年7月4日 週刊読書人掲載)
かつて幸田露伴は仏教の教えに基づいた「風流仏」を創作するに際し、言文一致ではない「文章」体に依拠して表現したのだが、今同じ宗教体験について創作するとしたら、表現はどうなるのだろうか。その困難なところに挑んだ作品である。 […]
死にゆく意識リアルに描写
(2003年6月29日 日本経済新聞掲載)
タイトルの「アミターバ」とは「阿弥陀」に通じる言葉で、「無量の光」に満ちた極楽浄土のイメージを表しているらしい。 八十歳を目前にした老女が肝臓の胆管部の癌に冒される。生存率がほとんどゼロの難しい部位である。私の友人もち […]
『アミターバ』~死者の目で描く往生伝~
(2003年6月8日 北海道新聞掲載)
世の中には宗教小説というものがある。「アミターバ」もある意味では宗教小説であり、仏教小説であるだろう。現役僧侶の作家が書き、その題名「アミターバ」は無量光明の意味であり、阿弥陀如来の名前そのものである。だが、これは仏教 […]
電池の入れ替え時は?
(1970年1月1日 一冊の本 特集 正しいものはひとつじゃない掲載)
昔の人は人生観は一個でよかった。 一個で充分まかなえた。 だいたい十七、八歳ごろから二十歳にかけて人生観を完成させ、そのあとはその一個でずうっとやっていけた。 途中でその人生観の中身を手直ししたりすると、「変節漢」などと […]
「死」を語る言葉を取り戻す試み
(2003年6月1日 新潮掲載)
わたしの上顎の、右側の二本目の前歯は神経が通っていない。高校生の頃、どういう具合か歯のなかが化膿し、わたしが抜きたくないと言うと、歯科医は穴をあけてなかを洗浄し、薬を詰めてくれた。以来、それはからっぽのまま、わたしの歯 […]
臨終観が示す救いの地平
(2001年7月8日 読売新聞掲載)
かねてから疑問に思っていることがあった。日本の仏教者から現代社会に切り込むような発言が聞こえてこないのは何故か。新宗教はともかく、在来仏教からの発言は極めて少ない。仏教的見地から見たグローバリゼーションとか、仏教的教育 […]
水の舳先
(2001年5月24日 日本経済新聞掲載)
現役僧りょの作家による芥川賞候補作。主人公は東北の温泉療養所で書道を教える僧りょ。彼と入所患者との間に流れていた平凡な時間は、ある男の死をきっかけにバランスを崩し始める。その過程を落ち着いた筆致でつづりながら、生と死、 […]