東日本大震災
時の在りか 愛とは被曝し合うこと
(論評・
2018/3/3 )
先週、放射能汚染土の袋があちこちに積まれる福島県の原発被災地を訪ねた。国内の新聞・通信・放送記者らによる日本記者クラブ取材団に参加した。現地で暮らす3人の話を紹介したい。 昨年3月、1地区を除いて避難指示が解除された […]
「竹林」……この厄介で魅力的な場所
(エッセイ・
2018/1/9 )
竹林とは不思議な場所である。風水ではその土地の歪みを矯正し、弱点を補うために竹を植えると聞いたこともある。また竹は地味豊かな土にしか生えないとされ、豊かな土壌の象徴でもある。 しかし最近は手が入れられず、放置されたま […]
民主主義の赤字
(エッセイ・
2017/12/3 )
今朝もまた、ミサイルが飛んだらしい(十一月二十九日)。午前四時まえのことで、全国瞬時警報(Jアラート)も鳴らなかったから、知らない人も多いようだ。 青森県の漁師さんたちは相当緊張しただろうが、殆んどは「え? そうなの […]
こころの好縁会
(エッセイ・
2017/8/31 )
正確には覚えていないがおそらくここ数年以上、「こころの好縁会」と銘打った講演や対談の催しに毎年招かれている。主催が岐阜県の大興寺(だいこうじ)さんと中日新聞社であるため、これまでは中部地方で開催されることが多かった。岐 […]
地方自治と脳の仕組み
(エッセイ・
2017/3/15 )
通信網の発達により、地理的な距離が人間どうしの距離を意味しなくなってきた。遠くに住んでいても、ネットでの通信があるから親密な関係が保てると思いがちである。 しかし我々の頭には、やはり物理的な距離の遠近がどこかに意識さ […]
見えない輪
(エッセイ・
2017/3/1 )
滝桜に向き合うと、私は時に「見えない輪」を二つ感じる。謎をかけるつもりはないので申し上げてしまおう。「見えない輪」とは、一つは年輪、もう一つはその子孫樹が描く巨大な円のことである。 まず年輪だが、当然ながらこれは伐ら […]
やがて死ぬけしき 現代日本における死に方・生き方
(書籍・
2016/8/26 )
「やがて死ぬけしきはみえず蝉の声」――芭蕉はかつて、短い命を気にすることもなく生きて死んでゆく蝉の見事な姿をこう詠んだ。では私たちは、どのように死と向き合えばよいのか? 商品化される墓や葬儀、大震災と死、がん治療や新薬の […]
福島民友にインタビュー「5年の歴史」編へ識者の意見【番外編 下】掲載
(おしらせ・
2016/6/24 )
2016年6月22日の福島民友にインタビュー「『5年の歴史』編へ識者の意見【番外編 下】」が掲載されています。 […]
被災地で読む 心ひかれた 生き物の逞しさ
(エッセイ・
2016/5/15 )
小説家・玄侑宗久 東日本大震災のときの自分の体験を振り返ると、ふた月ちかくは本が読めなかった。親しい編集者が『方丈記』(鴨長明著、ちくま学芸文庫など)を薦めてくれ、ようやく活字に浸る久しぶりの体験をしたのだが、これは今 […]
サンパウロ新聞のサイトに「3・11から5周年 被災地の人々は今」連載
(おしらせ・
2016/3/18 )
サンパウロ新聞のサイトに小林エレナさんによる「3・11から5周年被災地の人々は今」が連載されています。第2回で小林さんが福聚寺を訪れています。 […]