東日本大震災
アッパレお国ことば~福島・三春町(2) エンガ見た!
(エッセイ・
2014/1/1 )
この言葉の詳しい通用域についてはよくわからない。私の住む三春町では使うし、隣町でも聞いたことはあるのだが、果たして福島県中通り全体なのか、それとも県中地区に限るのか、はたまた福島県外でも使うのか、その辺が定かじゃないの […]
ビールと味噌煮込み
(論評・
2013/11/26 )
文壇のパーティーで玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんを見かけた。ごちそうを召し上がり、手にはお酒のグラス。初対面だが、こうしたとき余計な一言をつい発したくなる。失礼ですが「葷酒(くんしゅ)山門に入らず」ではないのですか […]
「龍宮」の威力
(エッセイ・
2013/10/28 )
俳句について、何ほどのことを知っているわけでもない私だが、それが落語と同じように、日本人への信頼を前提にした表現形式であることはわかる。たとえば芭蕉の「古池や~」の句でも、蛙が池に飛び込んだことはわかるが、「それがどう […]
怒りと祈りの光源
(論評・
2013/9/7 )
東日本大震災のあと、あまりの惨状に文字通り絶句して、何ひとつ書けなくなった作家や詩人を私は何人も知っている。人類が解決できない放射能が拡散しつづけていて、家と家族と職業を奪われ苦しみ悲しむ被災者がいて、いまだ行方のわか […]
怒り、無念、祈りはやがて物語へ
(論評・
2013/8/31 )
あの混沌と切迫のなかから作家はなにを感じ取り、どう振る舞い、誰に向かってなにを伝えようというのか。 被災地の外にいるわたくしたちも、震災と津波と原発事故の衝撃を身体からきれいに振り切るなんてまだまだ無理だ。振り返るこ […]
裁判員制度ふたたび
(エッセイ・
2013/7/31 )
急に「ふたたび」と言われてもワケがわからないかもしれない。しかし私にとって裁判員制度は、発足当初から反対しており、反対運動にも名を連ねていた。やはり「ふたたび」反対を言わなくてはと思った次第である。 どうして間が抜け […]
カマキリとウマオイの間
(論評・
2013/7/7 )
福島に住まう作家・玄侑宗久が「東日本大震災以後、切実な現実の推移のなかで綴った」(あとがきより)小説集だ。全部で六篇を収める。「あなたの影をひきずりながら」「蟋蟀」「小太郎の義憤」「アメンボ」「拝み虫」そして代表作「光 […]
被災地から問う この国のかたち
(書籍・
2013/6/3 )
「聴きたい曲があるの。でも、リクエストできない。泣いちゃう。亡くなった息子が好きだったの。『巨人の星』のテーマ。その子の思い出も何もないの。探そうにも、20キロ圏内だから、もう戻れない」。福島県民の70代の女性が、避難所 […]
「マイナンバー」いらない!!
(エッセイ・
2013/6/2 )
恐れていた「共通番号法」がとうとう参議院で可決され、成立してしまった。これだけ問題点が指摘され、先行実施している米国での犯罪利用状況まで分かっているのに、いったい国会という場所では何が審議されているのだろう。 東日本 […]
光の山
(書籍・
2013/4/26 )
【第64回芸術選奨文部科学大臣賞受賞】 ホーシャノー、持ってきていいって、本当かね……汚染された土や葉を積み上げた仮置場はやがて、瑠璃色の光を放つ山になった――震災後二年、福島に住む僧侶作家が […]
“除染”に思う
(テレビ・
2013/3/7 )
2013年3月7日、NHK「視点・論点」に出演した際、お話しした内容です。 現在の福島県では、昨年6万1千人まで増えた原発事故からの避難者が、やや戻ったものの、今なお5万7千人あまり全国のよその県に避難しています。高線 […]
花咲(わら)う 被災地の櫻と復興
(書籍・
2013/2/27 )
桜と笑顔に明日を見る 被災地の櫻が築く復興の礎 岩手県陸前高田市、宮古市、釜石市、宮城県気仙沼市、石巻市、福島県南相馬市、浪江町、飯舘村など各地で撮影。 写真・青柳健二氏。玄侑が「櫻と東北」という文章を書いています。 […]