東日本大震災
岳温泉のひな祭り
(エッセイ・
2016/3/6 )
毎年三月のひな祭りの季節には、二本松市の岳温泉に出かけることになっている。「あだたら万遊博 おかみと過ごすひな祭り」というイヴェントがあり、私も講演を依頼されているのである。 岳温泉観光協会女性部と「おかみ会」の主催 […]
【文庫】光の山
(書籍・
2016/2/27 )
【第64回芸術選奨文部科学大臣賞受賞】 ホーシャノー、持ってきていいって、本当かね……汚染された土や葉を積み上げた仮置場はやがて、瑠璃色の光を放つ山になった――震災後二年、福島に住む僧侶作家が、予想もしなかった過酷な状況 […]
桜の根元
(エッセイ・
2016/2/2 )
三春には、樹齢千年を超える瀧桜を中心に、枝垂れ桜が二千本以上、他の種類も入れると一万本以上の桜がある。東北地方では、桜の開花期がちょうど種蒔き時に重なるせいか、農業神(サ)の降り立つ場所(クラ)として、桜は特別に愛され […]
志賀島
(エッセイ・
2016/1/9 )
先日、講演で福岡へ出かけた折に、女房と志賀島(しかのしま)まで行ってきた。全国でも珍しい砂州による陸繋島(りくけいとう)だが、今では「海の中道」という立派な道路で繋(つな)がり、潮の満ち干に関係なく車で渡れる。 志賀 […]
南都隣山会から東日本大震災への義援金贈呈
(おしらせ・
2015/11/11 )
奈良市の東大寺、興福寺、西大寺、唐招提寺、薬師寺、斑鳩町の法隆寺でつくる南都隣山会から東日本大震災への義援金としてたまきはる福島基金、JETOみやぎ、日本赤十字社県支部へ1200万円が贈呈されました。 【追記】 この日に […]
なしくずし
(エッセイ・
2015/11/7 )
「なしくずし」は、本来は「済し崩し」と書く。返済すべき借金などを少しずつでも返し(済し)、借金の山を崩していくことである。 しかし世の中では、ここから転じた別の意味のほうを、むしろ普通に使う。手許(てもと)の辞書によ […]
「洗い」と「石場建て」
(エッセイ・
2015/8/30 )
本堂の改修工事がほぼ終わり、あとは漆塗りなど一部を残すだけになった。山形の加藤工匠の棟梁ほか3人の大工さん、銅屋根を葺(ふ)いてくれた小野工業や鳶(とび)職の面々、左官屋さん、建具屋さんに畳屋さん、そして電機屋さんや洗 […]
社会不安と宗教の移ろい
(エッセイ・
2014/12/5 )
昔から、社会不安と宗教の興隆変化には、一定の因果関係が認められるように思う。簡単に言えば、社会不安が増大することである種の宗教が流行したり、あるいは宗教の内部に変化が起こったりするということだ。宗教である以上、変わらぬ […]
「最後の希望」としての幽霊たち
(エッセイ・
2014/10/17 )
東日本大震災以後、東北の被災地では「幽霊」の目撃譚が非常に多く聞かれる。二〇一三年七月には京都大学「こころの未来研究センター」が「被災地の幽霊」を主題にしたシンポジウムを開いた。今や、幽霊が学術的な研究対象になる事態な […]
ヒューマン・エラー
(エッセイ・
2014/6/15 )
世の中に、いまだかつてミスをしたことがないという人はいるのだろうか。おそらく皆無だろう。たとえばヒットラーも、当時のドイツ人が正当な選挙で選んだのだし、イラク戦争も、アメリカの思い込みで堂々と始まってしまった。 アメ […]
傾聴する僧侶
(エッセイ・
2014/5/26 )
昔は「旅の坊主に地侍」と言われた。僧侶は余所で生まれ育った人のほうがよく、侍は地縁血縁などを利用するためにも土地の人のほうがいい、ということだろう。僧侶はどうしてその土地の人でないほうがいいのか、何度か考えたことがある […]
死にたくなる……
(エッセイ・
2014/5/1 )
これまでの五十七年の人生を振り返ったとき、今でも鮮烈に憶いだすのは初めて「自分も死ぬのか」と知ったときの悲しみである。 悲しみというより、それは今回の東日本大震災における津波のように、まったくどう受け止めていいのかわ […]