インタビュー
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宗教と文学 賢治で結ぶ
(2006/09/05 読売新聞掲載)
禅宗の僧侶である作家、玄侑宗久氏(50)の著作が相次いでいる。最近1年間の新刊は12冊。なかでも『お坊さんだって悩んでる』(文春新書)、『慈悲をめぐる心象スケッチ』(講談社)には、この時代の現実と宗教、文学をつなぐ、果敢 […]
ズルズルッと息抜き 禅道場入門で目覚める
(2006/08/29 毎日新聞掲載)
「三春索麺(そうめん)」という特産品がありましてね。江戸時代には幕府の将軍に献上されていたほどです。ここ、福島県三春町にはそのころ、修験道も含めてお寺が32もあった。多くの修行僧に供されていたようです。 めんさえあれ […]
The・呼吸 美容道
(2006/08/23 美的掲載)
呼吸で取り入れる酸素は、私たちの命に、 必要不可欠なエネルギーの源。 肌のキレイ、体の元気のもとであるのは もちろんですが、さらに「呼吸」には、 脳を落ち着け、心を磨くなどさまざまな効果があります! ***** ストレス […]
とにかく型どおりやってみる。 そこで初めて、じわりじわり 本来持っている「意味」がわかる。
(2006/07/28 女性自身掲載)
「まあ、そう慌てないで。今、お茶がきますから。それまでこの掛軸でもご覧ください」 芥川賞作家で臨済宗の僧侶でもある玄侑宗久さんは、座布団に座るなり「では、さっそく……」と取材を始めようとした記者に、ゆっくりとそう言っ […]
心の力
(2006/07/10 日経ビジネス掲載)
芥川賞作家の禅宗僧侶と遺伝子の権威が「いのち」を語る異色の対談集。 宗教家が仏教の科学性を説き、科学者が信仰の重要性に改めて目を向ける。 ともに「経済と大義名分」による科学の暴走を危惧する。 経済は万能ではない 宗教家が […]
ベラボーな生活――禅道場の「非常識」な日々
(2006/07/06 週刊文春掲載)
「書いていてこれほど楽しかったことはなかったですね。きりなく記憶が甦って、自分で笑ってしまったり。思い出すことがこんなにあるのは、それだけ無我夢中で、あっという間に過ぎた季節だったからでしょう」 本書は二十七歳の宗久 […]
今後どういうものを書いていくかは、ご縁次第ですね。自分でもわからないんです。
(2006/04/01 すこやか(健康保険組合向け機関紙)掲載)
出版社倒産という「縁」 第125回芥川賞を受賞した『中陰の花』や『アブラクサスの祭』などで知られる作家の玄侑宗久さんは、同時に福島県三春町にある臨済宗妙心寺派福聚寺の副住職でもある。だが、初めから生家である福聚寺を継ご […]
転機とは回帰である。
(2006/03/20 AERA掲載)
物が見えるのは、その物自体が絶え間なく変化しているから。一瞬一瞬がすべて無数の縁のつながりであり、転機なのだ。 『三十にして立つ』という孔子(こうし)の言葉があるせいか、30歳になったら見識を持ち、独立しなければならな […]
禅僧の語る、サビついた頭の毒出し法。
(2006/03/01 ダ・カーポ掲載)
“八百万”と“風流”という思考システムを取り戻すこと 「日本人がすごいのは頭が”八百万”(やおよろず)的な思考システムであることです。パソコンのウィンドウズどころではない。これはおそろしく優れたO […]
禅とは“下着”。ある意味、無節操 他宗教の信者も禅を学びに来る
(2006/01/17 アサヒ芸能掲載)
<(人は)怒りの種を自分の頭や口で再生産している>。至言である。かように示唆深い禅の想念を、玄侑宗久氏は実体験をベースに都々逸(どどいつ)や俳句を引用しながら、時にアカデミックなアプローチを交え、手ほどきする。融通無碍( […]
書くことは、未知の自分に出会う喜び
(2006/01/01 清流掲載)
僧侶にして作家であることの意味 「たったひと晩で葉が全部落ちたんですよ。昨夜の寒さのせいで」 藍の作務衣(さむえ)姿の玄侑宗久さんが、そう言って指さす先に、いちょうの大木があった。冬の陽が、掃き清められた境内の木々を照ら […]
文明と心
(2005/12/29 読売新聞掲載)
「身体」を過度に軽視 人の生活を支えるシステムには、不如意なことや予測し得ないことが起きても対処できるような仕組みが、本来あるはずだ。ところが、昨今の事件に対する社会の反応を見ていると、この柔軟性を欠いているように強く […]