エッセイ
言語道断と自業自得
(2005/02/26 地方新聞各紙掲載)
よく耳に馴染んだ四字熟語だと思うが、正確な意味はご承知だろうか。 言語道断(ごんごどうだん)はよく「道」が「同」と間違って書かれるが、本来「道」は「いう」と読み、言語で道(い)うことが難しい不可思議な仏法のこと。禅語 […]
みんなの花
(2005/02/24 月刊ランティエ 特集「読む桜」掲載)
桜はなぜ日本人みんなの花になったのか、考えてみるとよく解らない。 桜は国産の花木だというが、「桜」という文字は、中国からやってきた。むろん中国の漢詩でも桜は古くから登場する。おそらくはそれを真似て『古事記』『日本書紀 […]
日曜論壇 第5回 自燈明(じとうみょう)
(2005/02/20 福島民報掲載)
二月の半ばは、我々僧侶にとっては涅槃会(ねはんえ)の季節だ。たいていのお寺では、お釈迦さまが右手枕で横になった「涅槃図」をかけてお祀りするはずである。そこには大勢の弟子たちばかりでなく、禽獣類もたくさん描かれている。な […]
どっこいしょ
(2005/02/19 地方新聞各紙掲載)
立ったり坐ったりするとき、「どっこいしょ」と呟(つぶや)いたりすると「年だなぁ」なんて冷やかされる。あるいは自分で自嘲のわらいを漏らしたりするわけだが、この言葉、もともとは「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」がなまった […]
魔羅
(2005/02/12 地方新聞各紙掲載)
思わず眉(まゆ)を顰(ひそ)める方もおありだと思うが、これも仏教語なのだから仕方ない。もともとは僧侶たちだけが使った隠語なのだが、いつのまにか世間に知られてしまった。ばらしたのは誰だ? 本来は梵語(ぼんご)のマーラだ […]
檀那と坊主
(2005/02/05 地方新聞各紙掲載)
「社長、ちょっと寄ってくださいよ」なんて今の客引きは誘うが、昔は「旦那(だんな)さん」と呼びかけた。この「旦那」、本来は「檀那」と書く。梵語のダーナパティの音写である。 もともと仏教教団を経済的に支えた布施者のことだ […]
ホラ吹き
(2005/01/29 地方新聞各紙掲載)
ホラ吹きとは、一般にはウソつきのことだが、時には事を大袈裟(おおげさ)に話すことも含む。その場合は特に「大法螺(おおぼら)を吹く」と言ったりする。 ご存じのように、法螺とはもともと修験道などで使われるホラ貝製の楽器で […]
「わが屍は野に捨てよ-一遍遊行」解説 すさまじき遊行の迫力
(2005/1/28 新潮文庫掲載)
この本は、まるごと一遍上人の一生である。俗世での生い立ちや成長はむろんのことだが、念仏者として自身の教義を確立していく過程も、リアルに追体験できる。編年で書かれているのは、著者の誠実なのだろう。筆を遊ばせぬ確かな素描は […]
後生と一蓮托生
(2005/01/22 全国地方紙に掲載掲載)
最近はあまり耳にしなくなったが、「後生(ごしょう)だからお金貸しておくれよ」なんて、昔はよく聞いたものだった。今でも時代劇だと「後生だから命ばかりは」などと頼む。 この「後生」は、むろん本来は後の生、つまり来世のこと […]
人権とテトラポッド
(2005/01/20 人権のひろば掲載)
ふだん、あまり「人権」というようなことを考えて暮らしてはいない。恵まれているのだろう。たまに女房と喧嘩したりすると、急に「基本的人権」なんてことを憶いだす。おそらく人権に限らず、権利というものは、圧迫されたときに想起さ […]
莫迦
(2005/01/12 徳島新聞ほか 暮らしの中の仏教語掲載)
以前、『全国アホ・バカ分布考』という本があった。題名に似合わずまじめな言語学の本で、柳田国男さんの『蝸牛考(かぎゅうこう)』を推し進める形で言葉の発生と伝播(でんぱ)について論じていた。 つまり昔の言葉のほとんどは京 […]
師子身中の虫
(2005/01/05 愛媛新聞ほか 暮らしの中の仏教語第1回掲載)
元来 仏法に害なす者 たいていは「恩恵をこうむりながら味方を裏切る者」といった意味で使われるが、もともとは「仏法に害をなす者」。獣偏を省いて師子と書くが、これは経本における習慣で、獅子と同じと思っていい。獅子は本来は架 […]