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エッセイ


日曜論壇 第5回 自燈明(じとうみょう)

(2005/02/20 福島民報掲載)

 二月の半ばは、我々僧侶にとっては涅槃会(ねはんえ)の季節だ。たいていのお寺では、お釈迦さまが右手枕で横になった「涅槃図」をかけてお祀りするはずである。そこには大勢の弟子たちばかりでなく、禽獣類もたくさん描かれている。な […]

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どっこいしょ

(2005/02/19 地方新聞各紙掲載)

 立ったり坐ったりするとき、「どっこいしょ」と呟(つぶや)いたりすると「年だなぁ」なんて冷やかされる。あるいは自分で自嘲のわらいを漏らしたりするわけだが、この言葉、もともとは「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」がなまった […]

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魔羅

(2005/02/12 地方新聞各紙掲載)

 思わず眉(まゆ)を顰(ひそ)める方もおありだと思うが、これも仏教語なのだから仕方ない。もともとは僧侶たちだけが使った隠語なのだが、いつのまにか世間に知られてしまった。ばらしたのは誰だ?  本来は梵語(ぼんご)のマーラだ […]

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檀那と坊主

(2005/02/05 地方新聞各紙掲載)

 「社長、ちょっと寄ってくださいよ」なんて今の客引きは誘うが、昔は「旦那(だんな)さん」と呼びかけた。この「旦那」、本来は「檀那」と書く。梵語のダーナパティの音写である。  もともと仏教教団を経済的に支えた布施者のことだ […]

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ホラ吹き

(2005/01/29 地方新聞各紙掲載)

 ホラ吹きとは、一般にはウソつきのことだが、時には事を大袈裟(おおげさ)に話すことも含む。その場合は特に「大法螺(おおぼら)を吹く」と言ったりする。  ご存じのように、法螺とはもともと修験道などで使われるホラ貝製の楽器で […]

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「わが屍は野に捨てよ-一遍遊行」解説 すさまじき遊行の迫力

(2005/1/28 新潮文庫掲載)

 この本は、まるごと一遍上人の一生である。俗世での生い立ちや成長はむろんのことだが、念仏者として自身の教義を確立していく過程も、リアルに追体験できる。編年で書かれているのは、著者の誠実なのだろう。筆を遊ばせぬ確かな素描は […]

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後生と一蓮托生

(2005/01/22 全国地方紙に掲載掲載)

 最近はあまり耳にしなくなったが、「後生(ごしょう)だからお金貸しておくれよ」なんて、昔はよく聞いたものだった。今でも時代劇だと「後生だから命ばかりは」などと頼む。  この「後生」は、むろん本来は後の生、つまり来世のこと […]

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人権とテトラポッド

(2005/01/20 人権のひろば掲載)

 ふだん、あまり「人権」というようなことを考えて暮らしてはいない。恵まれているのだろう。たまに女房と喧嘩したりすると、急に「基本的人権」なんてことを憶いだす。おそらく人権に限らず、権利というものは、圧迫されたときに想起さ […]

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莫迦

(2005/01/12 徳島新聞ほか 暮らしの中の仏教語掲載)

 以前、『全国アホ・バカ分布考』という本があった。題名に似合わずまじめな言語学の本で、柳田国男さんの『蝸牛考(かぎゅうこう)』を推し進める形で言葉の発生と伝播(でんぱ)について論じていた。  つまり昔の言葉のほとんどは京 […]

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師子身中の虫

(2005/01/05 愛媛新聞ほか 暮らしの中の仏教語第1回掲載)

元来 仏法に害なす者  たいていは「恩恵をこうむりながら味方を裏切る者」といった意味で使われるが、もともとは「仏法に害をなす者」。獣偏を省いて師子と書くが、これは経本における習慣で、獅子と同じと思っていい。獅子は本来は架 […]

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樸と器について

(2005/01/03 湘南朝日掲載)

 裏山の木々の葉が落ちるこの季節になると、『老子』の「樸(あらき)」のことを憶いだす。  樸とは、何の加工もされていない、素材としての木のことだが、老子はいたくこの樸を絶賛する。たとえば十九章には聖人の在り方として「素を […]

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日曜論壇 第4回 帰りなん、いざ!

(2004/12/12 福島民報掲載)

 つい先日まで、福島県立美術館で「田園の夢」と題する展覧会が開かれていた。その展覧会の副題についていたのが標記の言葉である。  これはご存じ陶淵明の「帰去来の辞」の一節。どうして、どこに帰るのかというと、「田園まさに蕪( […]

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