エッセイ
鏡板の老松
(2005/10/05 月刊国立能楽堂掲載)
能舞台の正面奥の鏡板には、必ず老松の絵が描かれている。これはもともと、奈良春日大社の一の鳥居のところの影向の松の下で神事が行われたことに由来するらしい。 松は昔から、神の天降りを「待つ」神聖でめでたい木とされてきた。 […]
剃髪への目覚めと、その後
(2005/10/01 月刊正論掲載)
初めて頭を丸めたのは、小学校三年のときだった。これは綽名が「ぼうず」であったため、それに反抗する気分からだろう。「おうさ、坊主になってやろうじゃないか」という程度の、少年とすれば少し自虐的だが、勇敢な冒険だったのだと思 […]
幽玄に向かうとき
(2005/09 臨済会報掲載)
幽玄といえば、お能を憶いだすかもしれない。幽は「かすか」とも読むが、さまざまなものが渾然としている奥深さ、また玄とはすべての色がそこから出てくる黒のことだ。 能や水墨画の特徴としての認識が強いかもしれないが、これは明 […]
「隻手の音なき声 ドイツ人女性の参禅記」書評 禅体験の、新しい古典!
(2005/09/03 玄侑宗久公式サイト書き下ろし掲載)
なんという真摯な魂の記録、そしてなんという禅の本質的な表現であることだろう。それがこの『隻手の音なき声』(リース・グレーニング著、上田真而子訳、筑摩書房)を読みながら、何度も何度も私の胸に波のように押し寄せた思いであっ […]
「もらい笑い」の思い出
(2005/09/01 月刊日本橋掲載)
最近はあまり聞かないが、かつて中国には泣き女・泣き男という習慣があった。つまり儒教で葬儀をするに際し、儒教には僧侶に当たる人がいないので、儀式ぜんたいを泣くことで盛り上げ、ある種のカタルシスにまで運んだのだろう。 唐 […]
日曜論壇 第8回 電話の電話、郵便の郵便
(2005/08/28 福島民報掲載)
最近どうも、電話に関係した電話が多い。要するに、新しいシステムができて、これまでより安くなるので加入しないか、というお誘いのようだが、どうも要領を得ない。 要領を得ないだけでなく、なかには詐欺的な手法をとるところもあ […]
「全国文学館ガイド」掲載 偏愛が支える熱情
(2005/08/20 全国文学館ガイド掲載)
全てのものごとは複雑に原因が絡み合い、またその場の条件にも左右されながら、私との関係性のなかで起こる。そう考えるのが仏教であり、「縁起」の思想だろう。だから仏教では、単独で固定的な実在を一切認めない。それが「空」の哲学 […]
山からの声
(2005/08/17 北日本新聞掲載)
立山が囁く私の在り方 今年の七月、富山市での講演の翌日、かねて憧(あこが)れていた立山にT氏の案内で出かけた。彼の車で行けるところまで行き、そこから称名の滝まで、ほんの二、三キロ歩いただけだから、とても山に登ったとは云 […]
「ロマンティック・デス-月を見よ、死を想え」解説 月落ちて天を離れず
(2005/12/24 ロマンティック・デス-月を見よ、死を想え掲載)
なんと云えばいいのだろう。解説を書くためにこの本を読み終え、今は少し失語状態である。 たぶんその、大きな原因は、やはり驚きだと思う。世の中に、しかも日本に、こんなことを考えている人がいた……。そういう感じかもしれない […]
のれんに腕押し
(2005年夏 ソニー・ファミリークラブ Zekoo(商品紹介)掲載)
のれんに腕押しというと、こちらのアプローチに対してあまりに反応がなく、張り合いがないことを云う。しかし実際ののれんは、少しだけ反応があって、それが心地いい。 私のように頭を剃っていると、剃った翌日などはのれんの抵抗が […]
日曜論壇 第7回 同期の不思議
(2005/06/19 福島民報掲載)
同期の桜、とは昔から云うが、このところ、科学用語としてもこの「同期」が使われている。 たとえば心臓の孤独な動きも、約一万個のペースメイカー細胞で保たれている。外から電気仕掛けのペースメイカーを入れることもあるが、もと […]
有情の春
(2005/04/26・05/12 中日新聞・東京新聞掲載)
仏教には、この世のすべての物を「有情(うじょう)」と「非情」とで分ける習慣がある。「有情」は唐の玄奘(げんじょう)三蔵が梵(ぼん)語の sattva(サットバ) を訳した言葉で、それ以前は「衆生」と訳されていた。 衆 […]