自著・共著に関する記事
「みずうみ」という魔界
(エッセイ・
2004/6/30 )
川端康成さんの作品が好きだと、どこかで書いたことがある。どこが好きかと考えてみると、むろん細やかな心理の動きを象徴するフェティッシュなまでの具体の鮮やかさ、柔らかな構成や描かれる自然の美しさなどもあるが、何より話が転換 […]
透明な軌道の、その先
(エッセイ・
2004/5/1 )
宮澤賢治について論じるなんて、猛獣の何匹もいる檻のなかに入っていくようなものかもしれない。大勢の人が本気でカンカンガクガク論じる様子は、ほんとにちょっと怖いと思う。 どうしてそうなるのかと考えると、理由が二つ思いつく […]
念ずる力―野口英世の母・シカの手紙
(エッセイ・
2004/3/31 )
手紙のことを中国では「信」と云うが、逆に「手紙」と云えばあちらではちり紙のことになってしまう。トイレットペーパーも「手紙」である。 なにもちゃかすつもりはないが、中国の「信」という表現は「手紙」よりもずいぶん重く感じ […]
ヒト脳の煩悩と悟りをユーモラスに考える 「理屈」や「価値判断」は最大の妄想だって?
(論評・
2004/2/6 )
迷い多き私にとって、禅は気になるものである。不動心をうち立てるための、ヒントがありそうで。 書店でタイトルにひかれ、まえがきをめくって「へえっ」となった。ご存じ、著者は、作家にして禅僧だが、まえがきによると、禅僧とい […]
非常識の熟成について
(エッセイ・
2004/1/31 )
たしか井上靖さんだったと思う。小説を書く人間は、なにより常識人である、というようなことをどこかで仰っていた記憶がある。 確かに多くの人々が書かれた内容に想像を膨らませ、従(つ)いてきてくれるためには、その人々の心性に […]
重松清さんのポケット バージョンアップできるかな
(論評・
2004/1/11 )
『禅的生活』はタイトルのイメージどおり人生指南の一冊だが、その種の本を敬遠する読者には「言葉の本」だと紹介しておきたい。百を超える禅語―お馴染みのものでいえば「知足(ちそく)」「日日是好日(にちにちこれこうにち)」「安 […]
仏道という「道」
(エッセイ・
2003/11/30 )
『私だけの仏教』(講談社+α新書)などという本を書いたせいだろう、なんだか凄い場所に立たされてしまった。前門のトラ、後門の狼じゃないが、後ろには各宗派の陣幕がはためき、前には編集部や読者ばかりか我が宗門の重鎮の顔が浮か […]
「生の謎」に迫る試み
(論評・
2003/10/23 )
実際、<生の謎>に真摯に迫る作品は、今月も新たに生まれている。玄侑宗久氏(46)『アミターバ=無量光明=』(新潮)は、胆管がんに侵された八十歳目前の女性が、約三か月後に亡くなるまで、そして肉体を抜けて光になり、浄土=ア […]
~肉体滅びても魂は残る~ 無明に光を「鈴虫とアミターバ」
(論評・
2003/9/17 )
多くの人にあの世はあるのか、極楽はあるのか、地獄はあるのかと訊かれる。問う人は年齢も男女の別もない。 殊に近い過去に愛する人に死別した人たちは、涙ながらに真剣に訊いてくる。また現在、すでに医者から死期を予告された病人 […]
『アミターバ』奇縁
(論評・
2003/7/19 )
私はあの世も霊魂も幽霊も信じない。あるとしたら、銃やミサイルで殺されたり、ビルの屋上から突き落とされたり、家族もろとも手錠でつながれて海へ捨てられたりした罪もない人たちの無念の霊は、どうなるのだろう。その下手人たちが残 […]
虚の世界が現実以上の現実となって現前する一瞬を語る
(論評・
2003/7/4 )
かつて幸田露伴は仏教の教えに基づいた「風流仏」を創作するに際し、言文一致ではない「文章」体に依拠して表現したのだが、今同じ宗教体験について創作するとしたら、表現はどうなるのだろうか。その困難なところに挑んだ作品である。 […]
死にゆく意識リアルに描写
(論評・
2003/6/29 )
タイトルの「アミターバ」とは「阿弥陀」に通じる言葉で、「無量の光」に満ちた極楽浄土のイメージを表しているらしい。 八十歳を目前にした老女が肝臓の胆管部の癌に冒される。生存率がほとんどゼロの難しい部位である。私の友人もち […]