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師子身中の虫

(エッセイ・ 2005/1/5)

元来 仏法に害なす者  たいていは「恩恵をこうむりながら味方を裏切る者」といった意味で使われるが、もともとは「仏法に害をなす者」。獣偏を省いて師子と書くが、これは経本における習慣で、獅子と同じと思っていい。獅子は本来は架 […]

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居場所を失った現代人のはかなさ

(論評・ 2004/11/7)

リーラ 神の庭の遊戯 書評 (執筆:天外伺朗氏)

 いわずと知れた芥川賞作家にして現役の僧侶、一貫して真正面から「死と救済」に取り組んできた著者が、自殺という重いテーマを扱った書き下ろし長編。そのわりに、読後感がさわやかなのは、この著者の作品に共通の特徴。  自殺した若 […]

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自殺した若い女性の魂を生き残った者たちが追い求め、いつか自らが救われる物語

(論評・ 2004/11/6)

ダ・ヴィンチBook Watcherの絶対に読んでトクする20冊 書評 (執筆:清水良典氏)

 玄侑宗久という作家は、『禅的生活』に代表されるような説教や伝道の方面での活躍が最近やたら目立つが、本来は実力のある小説家である。そのことを証明したのは前作の『アミターバ』だった。死にゆく者が現世を離れていく心のプロセス […]

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ウォーキング・サピエンス

(エッセイ・ 2004/10/10)

日曜論壇 第3回

 最近はウォーキングがブームと云っていいだろう。歩くことが目的で歩いている人をよく見かける。  以前はジョギングが多かったが、ジョギングの発案者がジョギング中に亡くなったこともあり、代わって流行っているのがウォーキングと […]

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著者とその本

(論評・ 2004/10/1)

リーラ 神の庭の遊戯 書評 

 独特の死生観を描いた魅力的な作品を世に送り続ける、“小説を書く僧侶”玄侑宗久氏。新作『リーラ 神の庭の遊戯』は、自殺と「共時性」がテーマの長編小説である。  自殺した二十三歳の女性・飛鳥。彼女と関わりのあった六人が、そ […]

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ストーカーの魔の淵で

(論評・ 2004/10/1)

リーラ 神の庭の遊戯 書評 (執筆:鈴村和成氏)

 一人の若い女性の自殺をめぐる物語。著者はこれまで六冊の小説(デビュー作で芥川賞候補になった『水の舳先』、芥川賞受賞作『中陰の花』、受賞以後の『アブラクサスの祭』『化蝶散華』『御開帳綺譚』『アミターバ』)で、霊魂と救済の […]

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自殺めぐり複数の視点で 玄侑宗久氏の新作『リーラ』

(論評・ 2004/9/29)

リーラ 神の庭の遊戯 書評 

 約3万4000人という史上最多の自殺者が出ているなか、僧侶で作家の玄侑宗久さんが発表した自殺をめぐる小説『リーラ 神の庭の遊戯』(新潮社)が注目されている。仏教思想に基づく「答え」の提示ではなく、息苦しい世界観を超えて […]

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理屈で解けない生と死の物語

(論評・ 2004/9/19)

リーラ 神の庭の遊戯 書評 (執筆:内藤麻里子氏)

 自殺とは何かを問い、残された人々の再生を描いた書き下ろし長編小説。23歳の女性・飛鳥の自殺から3年、整体師の弟、死を受け入れられない母親、ストーカーだった男ら6人の視点から彼女がどう生きたかが語られる。  「6人の目線 […]

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この世のことは「リーラ」にまかせて

(論評・ 2004/9/1)

リーラ 神の庭の遊戯 書評 (執筆:立松和平氏)

 禅は明晰な思想である。禅僧である著者がなぜ霊魂のことや、世にオカルトと呼ばれている現象を主題とした小説を書くのかと、私は疑問を持っていた。そして、この小説を読み、その疑問が解けたように思った。  私たちが生を刻んでいる […]

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「みずうみ」という魔界

(エッセイ・ 2004/6/30)

この一作だけの感動

 川端康成さんの作品が好きだと、どこかで書いたことがある。どこが好きかと考えてみると、むろん細やかな心理の動きを象徴するフェティッシュなまでの具体の鮮やかさ、柔らかな構成や描かれる自然の美しさなどもあるが、何より話が転換 […]

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透明な軌道の、その先

(エッセイ・ 2004/5/1)

 宮澤賢治について論じるなんて、猛獣の何匹もいる檻のなかに入っていくようなものかもしれない。大勢の人が本気でカンカンガクガク論じる様子は、ほんとにちょっと怖いと思う。  どうしてそうなるのかと考えると、理由が二つ思いつく […]

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念ずる力―野口英世の母・シカの手紙

(エッセイ・ 2004/3/31)

 手紙のことを中国では「信」と云うが、逆に「手紙」と云えばあちらではちり紙のことになってしまう。トイレットペーパーも「手紙」である。  なにもちゃかすつもりはないが、中国の「信」という表現は「手紙」よりもずいぶん重く感じ […]

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