自著・共著に関する記事
「左脳に落ちない」身体の覚醒
(論評・ 2005/5/2)
脳と魂 書評
「ああなれば、こうなる」と思い悩む前に、まずは意識の壁をとり払って身体にもどれという解剖学者。はからいを捨て、日常の所作一つひとつに心身の融和を体感せよという禅僧。二人の「地」に根ざしつつ螺旋(らせん)する「知」の共振 […]
有情の春
(エッセイ・ 2005/4/26)
仏教には、この世のすべての物を「有情(うじょう)」と「非情」とで分ける習慣がある。「有情」は唐の玄奘(げんじょう)三蔵が梵(ぼん)語の sattva(サットバ) を訳した言葉で、それ以前は「衆生」と訳されていた。 衆 […]
脳と魂
(論評・ 2005/4/22)
新刊Book Guide
解剖学者と宗教者の非常にユニークで面白い対談集である。 世俗の常識や西欧近代化型の思考にこだわってきた人なら、目からウロコ、あるいは目を洗われるような文言が、軽快に飛び交い、快い刺戟のなかで、分量を感じさせない楽しい […]
仏教・キリスト教 死に方・生き方
(論評・ 2005/4/20)
書評
作家・僧侶の玄侑宗久さんと聖心会シスターの鈴木秀子さんの対談集。坐禅と瞑想など、仏教とキリスト教それぞれの立場から、生かされている命をどう生きるかについて、深く語り合っている。迷いに心を揺らしながら生きる私たちに、根本的 […]
書籍のご案内
(論評・ 2005/4/1)
死んだらどうなるの? 書評
「あの世」とはどういうところなのだろう。「魂」はあるのだろうか――。私たちが死後の世界を思うときに、ふと芽生えてくる疑問がある。現役の僧侶であり作家である玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)先生が、宗教に科学の視点をまじえて […]
仏教宇宙 VS 物理宇宙 仏教宇宙が物理宇宙を包み込む
(エッセイ・ 2005/3/31)
宇宙というと、ふつうはOuter Space、つまり地球外の空間を想像されるだろう。しかし初めにお断りしておきたいのは、ここでの宇宙とは空間だけでなく、時間をも含んだ概念であることだ。 「宇宙」という言葉が初めて現れ […]
脳と魂の間の補助線 規制の概念にとらわれない、生のリアリティに着地した語り
(論評・ 2005/3/12)
脳と魂 書評 (執筆:茂木健一郎氏)
線を一本引くだけで、一見脈絡がない複数の対象の間の関係が明らかになる。ぱっと、ひらめきが訪れ、それまで不可視だったものが見えてくる。幾何学の問題を解いていて、そんな経験をしたことがある人も多いだろう。補助線を引くことは […]
日本と日本人の変容を 僧侶と解剖学者が語り尽くした
(論評・ 2005/3/5)
Book Watcherの絶対に読んでトクする20冊より 書評 (執筆:一志治夫氏)
賢者たちは、もう何年も前から口をそろえて、明治以降の日本の迷走に警鐘を鳴らし続けている。どうやら、近代化が始まって百数十年がたち、結論は出たようだ。私たちの歩いてきた道は、間違っていた、と。しかし、問題は、その近代化の […]
話題の二人による対談集
(論評・ 2005/3/1)
脳と魂 書評 (執筆:麻生タオ氏)
「我思う、故に我在り」というのは、まさに首から上だけで世界を捉えようとしてきた近代を象徴していると思う。しかしそれだけでは間尺に合わなくなってきた、説明つかなくなってきた、というのが、このところの時代の流れで、本書をひ […]
脳科学者と禅僧が近代化批判めぐり対話 「公」と「私」と「個」議論の展開興味深く
(論評・ 2005/2/28)
脳と魂 書評 (執筆:上野昂志氏)
養老さんと玄侑さん、帯の言葉を借りれば、「仏教的な科学者」と「死後の世界を量子論から透徹する禅僧」との対話。お二人の名前に思わず「さん」をつけたが、べつだん面識があるわけではない。これが文章として書かれたものなら、たぶ […]
言語道断と自業自得
(エッセイ・ 2005/2/26)
よく耳に馴染んだ四字熟語だと思うが、正確な意味はご承知だろうか。 言語道断(ごんごどうだん)はよく「道」が「同」と間違って書かれるが、本来「道」は「いう」と読み、言語で道(い)うことが難しい不可思議な仏法のこと。禅語 […]
死は 無でないと思いたい
(論評・ 2005/2/24)
死んだらどうなるの? 書評 (執筆:鴻巣友季子氏)
ある意識調査で、人間は死んでも生き返ると答えた小中学生が一五パーセントもいたそうだ。ホントなの?と思っているところへ、中高生以上をターゲットに創刊した「ちくまプリマー新書」が五冊届いた。玄侑宗久の『死んだらどうなるの? […]
