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「生きる」ことと記憶
(エッセイ・ 2007/5/28)

 通常、記憶というのはコンピュータのメモリーのように、脳のどこかに固定的に貯蔵されているものと思いがちである。しかしどうもそうではなく、憶いだす瞬間に再構築されているらしい。  そのことは、ノーベル賞を受賞した神経学者ジ […]

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三春の桜
(エッセイ・ 2007/3/7)

 三春町には、いったい桜が何本あるのだろう。  一億円のふるさと創生資金のうち、八千万が桜の植栽に使われた。その時点で本数は吉野を超え、日本一になったのだとも聞いた。むろんそれ以前から紅枝垂れは数多く、四百数十年まえの殿 […]

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「知と愛」~若き葛藤を包み込む息づかい~
(エッセイ・ 2007/2/15)

再会の読書 ヘルマン・ヘッセ「知と愛」  若い頃、まだ修行に行くまえの私は、宗教と文学との間で揺れていたと、最近は人に話す。しかし冷静に考えると、そのような振り子みたいな迷いではなかったような気がする。  図書館分類学の […]

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まるごと受け入れるということ。
(論評・ 2006/11/7)

現代語訳般若心経 書評 (執筆:斎藤みち子氏)

 全部で262文字。短くてもっとも有名なお経の「般若心経」を現代語訳した本。  純文学の作家で、また僧職にある人が現代語訳するのだから、わかりやすい工夫がいろいろ仕掛けられている。お釈迦さまが大勢の求道者や修行者と一緒に […]

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仏教者の視点で宮澤賢治に新しい光を照らす
(論評・ 2006/11/6)

慈悲をめぐる心象スケッチ 書評 (執筆:千葉望氏)

 数年前、朝日新聞社から出た『週刊朝日百科・仏教を歩く 日蓮』に、宮澤賢治に関する玄侑さんのこんなエッセイが載っていた。  「だいいち『春と修羅』の序文にしてからが、般若心経の翻案である。『わたくしといふ現象は、仮定され […]

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お坊さんだって悩んでる
(論評・ 2006/10/10)

書評 

 柔らかく、謙虚な口調で書かれた人生案内。坐禅をはじめとする禅の技術を備える著者は、ややこしい現代を生き抜く知恵を伝える、説法の技術も極めつつあるようだ。本書に収められている27の問答は語り口調でありながら、じつは紛れも […]

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YOUYOU INFORMATION BOOKS
(論評・ 2006/9/1)

ベラボーな生活 禅道場の「非常識」な日々 書評

 入門試験は玄関での座り込み、真冬も裸足で掃除と坐禅を繰り返し、出された食事は吐いてでも平らげねばならず……。老師や僧仲間とのエピソードを交え、禅道場での修行の日々を軽妙な筆致で綴った。限界の中で引き出される知恵とユーモ […]

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知られざる僧侶の悩みの数々
(論評・ 2006/8/28)

書評

 お坊さんといえば人格者。徳があって迷いがないと思っていたら…。 「お葬式の意味をどう子どもに説明すればいい?」「跡取りが茶髪だけどどうしよう?」「イラクに派遣される自衛隊員にかける声は?」  仕事や家族の問題から社会問 […]

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悩み解決のトライアスロン
(論評・ 2006/7/10)

お坊さんだって悩んでる 書評 (執筆:赤瀬川原平氏)

 このタイトルがいいですね。お坊さんだって悩んでいる。それはそうだろう、人間だから。とは思っていても、ふつうは表立ってテーマにはしない問題である。  つまり表立っては、お坊さんはもう悩まないと思われているのだ。出家して、 […]

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エンジョイ読書
(論評・ 2006/7/5)

ベラボーな生活 禅道場の「非常識」な日々

臨済宗僧侶の作家である著者は修行時代、肥料用の牛フンを手でつかむよう先輩に指示された。 ためらう著者に先輩は一言「なんで汚いんか、説明してんか?」。 禅寺修業の基をなすのは「人間に起こる奇跡を信じる」態度だという。 現代 […]

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芥川賞作家の“修行時代”
(論評・ 2006/7/3)

ベラボーな生活 禅道場の「非常識」な日々

作家で僧侶である著者が、かつて京都の禅道場で修業していた頃の出来事を綴ったエッセイ集。道場前に座り込んでから3日目でようやく許されるという入門から、短い睡眠時間、季節にかかわらず裸足、日ごろは質素な食事ながら信者の前では […]

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我が老師
(エッセイ・ 2006/5/16)

 吉川英治は「会う人みな我が師なり」という意味のことを云(い)ったらしい。しかし私にとって師といえば、やはり天龍寺の平田精耕老師だ。深い交遊について書くようにとのご依頼だし、果たして老師とのことを「交遊」と呼んでいいかど […]

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