自著・共著に関する記事
海という暗黒
(エッセイ・
2009/7/25 )
私が生まれた町は海から遠く、今も私はその町に住んでいる。 その代わりというのも妙だが、町からさほど遠くないところに大きな湖があり、幼いころの私はそれを海だと思っていた。 大きな湖だし深さも百メートル近くあるから、ち […]
精進料理、あるいはコンニャクの修行のこと
(エッセイ・
2009/4/6 )
精進料理と云えば、禅寺など仏教寺院に伝わるいわゆる肉魚抜きの料理を指すことが多い。しかし、どうして肉魚抜きが「精進」なのだろう。 「精進」はもともと仏教の実践法である六波羅蜜の一つ。手間暇惜しまず、結果を期待せず、と […]
桜が枝垂れたワケ
(エッセイ・
2009/3/31 )
今年(二〇〇九年)の二月に朝日新聞が桜についてのアンケートを行なった。全国各地四十本の桜を予めリストアップし、そのなかから自分にとってのベスト3を選ばせたのである。 どうしてそんなに競わせたいのか分からないけれど、と […]
テルちゃん
(論評・
2009/1/1 )
すべての生き物の中で、感情的な涙を流すのは人間だけだという。 ものの本によると涙にはエンケファリンという物質が含まれていて、これがじつは天然の鎮静剤なのだとか。つまり人間は感情が昂(たか)ぶったとき、泣くことによって心 […]
テルちゃん
(論評・
2008/12/1 )
これまで介護を扱ったさまざまな作品を読んできたが、そこには介護をめぐる困難さや苦労がつきものであった。介護とは苦痛を伴うものであり、できれば避けて通りたいというイメージは多くの人が抱いていると思う。 玄侑宗久氏の『テ […]
龍の棲む家
(論評・
2007/12/14 )
上野でフィラデルフィア美術館展をやっているというので、身支度を調えて前傾姿勢で出かけていった。どうして前傾姿勢だったかというと、館内でレンタルできる音声ガイド(イヤホン式)の声が、檀れいさんだと新聞広告に書いてあったか […]
龍の棲む家
(論評・
2007/11/18 )
父親に認知症が始まったと兄から知らされた幹夫は、実家に戻って父親と暮らし始めた。 働き盛りの男が仕事を捨てて介護に専念しようと決意するには大きな葛藤があろうと思うが、小説はそういう心理的背景には立ち入らない。また、父 […]
「生きる」ことと記憶
(エッセイ・
2007/5/28 )
通常、記憶というのはコンピュータのメモリーのように、脳のどこかに固定的に貯蔵されているものと思いがちである。しかしどうもそうではなく、憶いだす瞬間に再構築されているらしい。 そのことは、ノーベル賞を受賞した神経学者ジ […]
三春の桜
(エッセイ・
2007/3/7 )
三春町には、いったい桜が何本あるのだろう。 一億円のふるさと創生資金のうち、八千万が桜の植栽に使われた。その時点で本数は吉野を超え、日本一になったのだとも聞いた。むろんそれ以前から紅枝垂れは数多く、四百数十年まえの殿 […]
「知と愛」~若き葛藤を包み込む息づかい~
(エッセイ・
2007/2/15 )
再会の読書 ヘルマン・ヘッセ「知と愛」 若い頃、まだ修行に行くまえの私は、宗教と文学との間で揺れていたと、最近は人に話す。しかし冷静に考えると、そのような振り子みたいな迷いではなかったような気がする。 図書館分類学の […]
まるごと受け入れるということ。
(論評・
2006/11/7 )
全部で262文字。短くてもっとも有名なお経の「般若心経」を現代語訳した本。 純文学の作家で、また僧職にある人が現代語訳するのだから、わかりやすい工夫がいろいろ仕掛けられている。お釈迦さまが大勢の求道者や修行者と一緒に […]
仏教者の視点で宮澤賢治に新しい光を照らす
(論評・
2006/11/6 )
数年前、朝日新聞社から出た『週刊朝日百科・仏教を歩く 日蓮』に、宮澤賢治に関する玄侑さんのこんなエッセイが載っていた。 「だいいち『春と修羅』の序文にしてからが、般若心経の翻案である。『わたくしといふ現象は、仮定され […]