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幽玄に向かうとき
(エッセイ・ 2005/9/21 )

 幽玄といえば、お能を憶いだすかもしれない。幽は「かすか」とも読むが、さまざまなものが渾然としている奥深さ、また玄とはすべての色がそこから出てくる黒のことだ。  能や水墨画の特徴としての認識が強いかもしれないが、これは明 […]

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「もらい笑い」の思い出
(エッセイ・ 2005/9/1 )

 最近はあまり聞かないが、かつて中国には泣き女・泣き男という習慣があった。つまり儒教で葬儀をするに際し、儒教には僧侶に当たる人がいないので、儀式ぜんたいを泣くことで盛り上げ、ある種のカタルシスにまで運んだのだろう。  唐 […]

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なぜ、悩む!
(論評・ 2005/8/8 )

 『なぜ、悩む!』は、臨済宗僧侶で作家の玄侑宗久氏と、スリランカ上座部仏教の長老A・スマナサーラ氏の対談集。片や大乗、片や上座部、それぞれの立場から忌憚ない言葉が飛び交い、きわめて刺激的で有意義な対談がなされている。たと […]

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「左脳に落ちない」身体の覚醒
(論評・ 2005/5/2 )

 「ああなれば、こうなる」と思い悩む前に、まずは意識の壁をとり払って身体にもどれという解剖学者。はからいを捨て、日常の所作一つひとつに心身の融和を体感せよという禅僧。二人の「地」に根ざしつつ螺旋(らせん)する「知」の共振 […]

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有情の春
(エッセイ・ 2005/4/26 )

 仏教には、この世のすべての物を「有情(うじょう)」と「非情」とで分ける習慣がある。「有情」は唐の玄奘(げんじょう)三蔵が梵(ぼん)語の sattva(サットバ) を訳した言葉で、それ以前は「衆生」と訳されていた。  衆 […]

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脳と魂
(論評・ 2005/4/22 )

 解剖学者と宗教者の非常にユニークで面白い対談集である。  世俗の常識や西欧近代化型の思考にこだわってきた人なら、目からウロコ、あるいは目を洗われるような文言が、軽快に飛び交い、快い刺戟のなかで、分量を感じさせない楽しい […]

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仏教・キリスト教 死に方・生き方
(論評・ 2005/4/20 )

作家・僧侶の玄侑宗久さんと聖心会シスターの鈴木秀子さんの対談集。坐禅と瞑想など、仏教とキリスト教それぞれの立場から、生かされている命をどう生きるかについて、深く語り合っている。迷いに心を揺らしながら生きる私たちに、根本的 […]

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書籍のご案内
(論評・ 2005/4/1 )

 「あの世」とはどういうところなのだろう。「魂」はあるのだろうか――。私たちが死後の世界を思うときに、ふと芽生えてくる疑問がある。現役の僧侶であり作家である玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)先生が、宗教に科学の視点をまじえて […]

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仏教宇宙 VS 物理宇宙 仏教宇宙が物理宇宙を包み込む
(エッセイ・ 2005/3/31 )

 宇宙というと、ふつうはOuter Space、つまり地球外の空間を想像されるだろう。しかし初めにお断りしておきたいのは、ここでの宇宙とは空間だけでなく、時間をも含んだ概念であることだ。  「宇宙」という言葉が初めて現れ […]

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脳と魂の間の補助線 規制の概念にとらわれない、生のリアリティに着地した語り
(論評・ 2005/3/12 )

 線を一本引くだけで、一見脈絡がない複数の対象の間の関係が明らかになる。ぱっと、ひらめきが訪れ、それまで不可視だったものが見えてくる。幾何学の問題を解いていて、そんな経験をしたことがある人も多いだろう。補助線を引くことは […]

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日本と日本人の変容を 僧侶と解剖学者が語り尽くした
(論評・ 2005/3/5 )

 賢者たちは、もう何年も前から口をそろえて、明治以降の日本の迷走に警鐘を鳴らし続けている。どうやら、近代化が始まって百数十年がたち、結論は出たようだ。私たちの歩いてきた道は、間違っていた、と。しかし、問題は、その近代化の […]

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話題の二人による対談集
(論評・ 2005/3/1 )

 「我思う、故に我在り」というのは、まさに首から上だけで世界を捉えようとしてきた近代を象徴していると思う。しかしそれだけでは間尺に合わなくなってきた、説明つかなくなってきた、というのが、このところの時代の流れで、本書をひ […]

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