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読書日和
(論評・ 2005/11/1 )

 ずっと待っていたのだった。 一年じゅうむけられる、あまたのレンズから、不忍の蓮はようやくひとりを見つけた。憑かれた写真家は、一万七千回、シャッターを押すはめになった。  まんまとフィルムにのりうつると、池を抜け出し、ふ […]

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不忍池の蓮に荘厳された中国人女性との愛の物語
(論評・ 2005/10/8 )

 この本を開いたときに目を射るのは、不忍池の象徴である蓮の写真である。写真家・坂本真典が、一万七〇〇〇枚も撮りためたという蓮の写真は、二〇〇枚が選ばれ作家の玄侑宗久のもとに届けられた。玄侑は写真を眺め、何度か不忍池にも足 […]

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祝福
(論評・ 2005/10/6 )

写真家・坂本の手による蓮の写真に触発されて、 芥川賞作家・玄侑が紡ぎだした激しい恋の物語。 可憐な蕾や妖艶な花びら、気高い最期の姿など、 写真がもつ圧倒的な迫力に、美しいストーリーが呼応する。 写真と小説の奇跡のような出 […]

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幽玄に向かうとき
(エッセイ・ 2005/9/21 )

 幽玄といえば、お能を憶いだすかもしれない。幽は「かすか」とも読むが、さまざまなものが渾然としている奥深さ、また玄とはすべての色がそこから出てくる黒のことだ。  能や水墨画の特徴としての認識が強いかもしれないが、これは明 […]

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「もらい笑い」の思い出
(エッセイ・ 2005/9/1 )

 最近はあまり聞かないが、かつて中国には泣き女・泣き男という習慣があった。つまり儒教で葬儀をするに際し、儒教には僧侶に当たる人がいないので、儀式ぜんたいを泣くことで盛り上げ、ある種のカタルシスにまで運んだのだろう。  唐 […]

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なぜ、悩む!
(論評・ 2005/8/8 )

 『なぜ、悩む!』は、臨済宗僧侶で作家の玄侑宗久氏と、スリランカ上座部仏教の長老A・スマナサーラ氏の対談集。片や大乗、片や上座部、それぞれの立場から忌憚ない言葉が飛び交い、きわめて刺激的で有意義な対談がなされている。たと […]

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「左脳に落ちない」身体の覚醒
(論評・ 2005/5/2 )

 「ああなれば、こうなる」と思い悩む前に、まずは意識の壁をとり払って身体にもどれという解剖学者。はからいを捨て、日常の所作一つひとつに心身の融和を体感せよという禅僧。二人の「地」に根ざしつつ螺旋(らせん)する「知」の共振 […]

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有情の春
(エッセイ・ 2005/4/26 )

 仏教には、この世のすべての物を「有情(うじょう)」と「非情」とで分ける習慣がある。「有情」は唐の玄奘(げんじょう)三蔵が梵(ぼん)語の sattva(サットバ) を訳した言葉で、それ以前は「衆生」と訳されていた。  衆 […]

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脳と魂
(論評・ 2005/4/22 )

 解剖学者と宗教者の非常にユニークで面白い対談集である。  世俗の常識や西欧近代化型の思考にこだわってきた人なら、目からウロコ、あるいは目を洗われるような文言が、軽快に飛び交い、快い刺戟のなかで、分量を感じさせない楽しい […]

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仏教・キリスト教 死に方・生き方
(論評・ 2005/4/20 )

作家・僧侶の玄侑宗久さんと聖心会シスターの鈴木秀子さんの対談集。坐禅と瞑想など、仏教とキリスト教それぞれの立場から、生かされている命をどう生きるかについて、深く語り合っている。迷いに心を揺らしながら生きる私たちに、根本的 […]

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書籍のご案内
(論評・ 2005/4/1 )

 「あの世」とはどういうところなのだろう。「魂」はあるのだろうか――。私たちが死後の世界を思うときに、ふと芽生えてくる疑問がある。現役の僧侶であり作家である玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)先生が、宗教に科学の視点をまじえて […]

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仏教宇宙 VS 物理宇宙 仏教宇宙が物理宇宙を包み込む
(エッセイ・ 2005/3/31 )

 宇宙というと、ふつうはOuter Space、つまり地球外の空間を想像されるだろう。しかし初めにお断りしておきたいのは、ここでの宇宙とは空間だけでなく、時間をも含んだ概念であることだ。  「宇宙」という言葉が初めて現れ […]

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