自著・共著に関する記事
死んだらどうなるの?
(論評・ 2005/2/13)
本よみうり堂 書評 (執筆:赤瀬川原平氏)
本よみうり堂(本を読もう、日曜掲載)、「愛書日記」の中でお気に入りの本として、1.『戦争の常識』鍛冶俊樹著(文春新書、20日発売)、2.『身体から革命を起こす』甲野善紀・田中聡著(新潮社)と3.『死んだらどうなるの?』の […]
魔羅
(エッセイ・ 2005/2/12)
思わず眉(まゆ)を顰(ひそ)める方もおありだと思うが、これも仏教語なのだから仕方ない。もともとは僧侶たちだけが使った隠語なのだが、いつのまにか世間に知られてしまった。ばらしたのは誰だ? 本来は梵語(ぼんご)のマーラだ […]
文春図書館 今週の三冊
(論評・ 2005/2/9)
死んだらどうなるの? 書評 (執筆:吉田敏浩氏)
死んだらどうなるのか。やはりその時にならなければわからない。従って、この種のテーマに取り組む書物の結論は普通、いつか必ず訪れる死の日まで一日一日を「精一杯生きる」というところに収斂(しゅうれん)していく。 本書もまた […]
読書ベタのオススメ本
(論評・ 2005/2/8)
書評 (執筆:南伸坊氏)
「死んだらどうなるの?」が明快に答えられる人はいない。誰でも必ず死ぬけれども、死んだら、どうなってたか、報告できないしくみなのだ。 誰もが必ず体験できるのにそれがどんな体験か、一切明らかになっていないこと、こんな例は […]
脳と魂
(論評・ 2005/2/8)
書物の輪蔵
超刺激的な本が出た。『脳と魂』。解剖学者の養老孟司と、臨済宗の禅僧にして作家の玄侑宗久。両氏の対談である。解剖学者と禅僧。一見、異種格闘技試合のような組み合わせにも思える。が、もの言わぬ死体を見つめ続け、自然の在りよう […]
最先端思想を平易な言葉で
(論評・ 2005/2/7)
脳と魂 書評 (執筆:小林司氏)
養老孟司は解剖学者(東京大学名誉教授)、玄侑宗久は臨済宗僧侶で、平成十三年に『中陰の花』により芥川賞を受賞した作家である。本書は、「観念と身体」「都市と自然」「世間と個人」「脳と魂」の四章からなり、書名はその終章から採 […]
科学と禅が織りなす螺旋
(論評・ 2005/2/7)
脳と魂 書評 話題の新刊はこれだ!
仏教的な解剖学者と、科学的な禅僧。異なる゛知゛が共振し合う対談。<学校の体育の時間が、要するに、速く走る、高く飛ぶばかりで、普通に歩く、座るっていうことを全く教えないじゃないですか。全部非日常的な身体の使い方です>と禅 […]
檀那と坊主
(エッセイ・ 2005/2/5)
「社長、ちょっと寄ってくださいよ」なんて今の客引きは誘うが、昔は「旦那(だんな)さん」と呼びかけた。この「旦那」、本来は「檀那」と書く。梵語のダーナパティの音写である。 もともと仏教教団を経済的に支えた布施者のことだ […]
ホラ吹き
(エッセイ・ 2005/1/29)
ホラ吹きとは、一般にはウソつきのことだが、時には事を大袈裟(おおげさ)に話すことも含む。その場合は特に「大法螺(おおぼら)を吹く」と言ったりする。 ご存じのように、法螺とはもともと修験道などで使われるホラ貝製の楽器で […]
後生と一蓮托生
(エッセイ・ 2005/1/22)
最近はあまり耳にしなくなったが、「後生(ごしょう)だからお金貸しておくれよ」なんて、昔はよく聞いたものだった。今でも時代劇だと「後生だから命ばかりは」などと頼む。 この「後生」は、むろん本来は後の生、つまり来世のこと […]
死んだらどうなるの?
(論評・ 2005/1/20)
DANA INFORMATON BOOK 書評
「死」とは何か。「あの世」とはどういうところだろうか。「魂」って本当にあるのだろうか。「小学校の三年生の頃、死ぬのがこわかった」という自らの体験を踏まえて、誰でもが必ず抱く根源的な疑問に、僧侶である著者がていねいに答え […]
莫迦
(エッセイ・ 2005/1/15)
以前、『全国アホ・バカ分布考』という本があった。題名に似合わずまじめな言語学の本で、柳田国男さんの『蝸牛考(かぎゅうこう)』を推し進める形で言葉の発生と伝播(でんぱ)について論じていた。 つまり昔の言葉のほとんどは京 […]
