エッセイ
日曜論壇 第89回 烏賊と原発
(2019/10/06 福島民報掲載)
私は六十三歳だが、近ごろ驚くほど体質が変わったような気がする。何より好きじゃなかった烏賊(いか)が食べられるようになり、いやむしろ旨(うま)いとさえ思うようになった。どこか深いところで宿年の拘(こだわ)りが解けたのだろ […]
日曜論壇 第88回 瑞西の歌声
(2019/08/04 福島民報掲載)
七月下旬、福島市の音楽堂で「ふくしま復興支援コンサート スイス国と共に」と題した大がかりなコンサートが行なわれた。当初は私が理事長を務める「たまきはる福島基金」主催の予定だったのだが、福島市がスイスのホストタウンになっ […]
日曜論壇 第87回 お墓の変化
(2019/06/09 福島民報掲載)
先日、岩手県の一関市へ出かけてきた。祥雲寺さんが始めた樹木葬墓地が二十周年を迎えるため、記念講演を頼まれたのである。 思えば墓地は、時代によってさまざまに変遷してきた。今は「○○家之墓」という棹石(さおいし)に法名碑 […]
日曜論壇 第86回 使わせてもらってます
(2019/04/14 福島民報掲載)
中国と日本の関係は特別である。大まかに言えば、十五、六世紀までの日本は、中国からさまざまな文化・文物を取り入れ、独自のアレンジを加えながら日本化してきた。文字はその代表的なもので、仮名というアレンジ作品は産みだしたもの […]
柔弱という強さ
(2019/04/10 月刊PHP掲載)
性格が強い、弱い、というのは、どうも分かりにくい。一般的には、自分の思いや主張を何が何でも通そうとするのが「強い」のだろうし、困難ならすぐにでも変化させるのが「弱い」のかもしれないが、本当にそうだろうか? 道場の先輩 […]
うゐの奥山 第80回 マレーシアでの「同期」
(2019/03/31 東京新聞ほか掲載)
先日、年に一度だけの休暇旅行で夫婦でマレーシアに行ってきた。震災後しばらくは海外に興味が向かず、たいてい国内の離島や温泉が多かったのだが、なぜか急に行ってみたくなったのである。 べつに、マハティール氏が九十二歳で首相 […]
「視標」東京五輪あと500日
(2019/03/12 共同通信配信掲載)
オリンピックと「その他」 現世を忘れさせる祭か 2020年7月の東京五輪開幕まで、12日であと500日。大会組織委員会は聖火リレーを福島県から始めるなど、東日本大震災の復興に寄与する五輪をうたう。では被災県民の心情は- […]
偶像ではないけれど
(2019/03/01 うえの掲載)
仏教はけっして偶像を崇拝する宗教ではない。それにしては、じつに多種多様の仏像を造形したものだが、冷静に考えれば、だからこそそれは偶像ではないのである。 『広辞苑』によれば、偶像とは「伝統的または絶対的な権威として崇拝 […]
「人生後半、はじめまして」書評 人生後半、はじめまして
(2019/2/25 週刊現代ブックレビュー掲載)
岸本さんの文章の魅力は、理路整然として、しかもスキップするような独特のリズムにある。しかしそのスキップのために、彼女がこれほど努力しているとは知らなかった。筋肉や骨はむろんのこと、歯や眼の衰えにも対処し、努力を惜しまな […]
日曜論壇 第85回 仮設トイレでの快哉
(2019/02/17 福島民報掲載)
シナイ半島への陸自派遣が決まった。二回目の米朝首脳会談も決まり、日ロの領土交渉も大詰めに向かいつつある。世の中を見まわすと息苦しい出来事に満ち、また私も原稿の〆切が間近に迫っていたのだが、二月十日のお寺ではそれどころで […]
日曜論壇 第84回 12月8日
(2018/12/16 福島民報掲載)
12月8日といえば、我々禅僧にとっては特別な日だ。お釈迦(しゃか)さまが今からおよそ2500年前、12月8日の明けの明星を見て大いなる覚醒を得たという。その覚醒を追体験しようと、あちこちの道場では7日間、ほぼ不眠不休と […]
「両行」とこころのレジリエンス
(2018/12/05 精神療法 第44巻6号(金剛出版)掲載)
この国の諺(ことわざ)を眺めると、対立する意味合いの諺が必ずと言っていいほどあることに気づく。たとえば「善は急げ」と「急がば廻れ」、「嘘も方便」と「嘘つきは泥棒の始まり」、「一石二鳥」と「虻蜂取らず」、「大は小を兼ねる […]